「ボクたち,こんな保育園だったら,楽しいな」をさぐりながら北海道乳幼児療育研究会
「乳幼児療育研究」
第10回研究大会収録 1997年・第10号より矢島満子
はじめに
共に生きる保育をめざして
開園当初(1973 年)から障害を持つ子どもたちと共に保育をしてきました。23 年前,障害児保育の公的な補助金はゼロでしたので,親たちは“障害児を育てる会”を結成し,人件費をうみだす資金づくりに力をいれていました。その頃は,障害児保育の在り方,発達課題,その学習方法も全くの手さぐり状態でした。私たちは障害児を含めた保育をすすめる中で,発達のみちすじを学び,発達にそった課題や見通しをもって,その子と接する方法なども教えてもらいました。障害児によって保育者が育てられ,そのことが保育全体にも生かされてきたと思います。
特別の保育や治療,療育は行っていません。障害を持つ子どもにとって保育園が楽しいと思える場でありたい!共に生きる保育をめざしたい!
これまで,探りながら学び得たことの一部を報告します。
I 障害を持つ子がホッとできる基地づくり
“基地”といえばあまりいい印象を受けないのですが,ホッと心が休まる場,その子の活動拠点となる場,体も心も休め,そこから,やがて次なる活動の場に出て行ける基と受け止めながら,あえて基地という言葉を使います。その子,その子によって,基地は異なります。その場をその子と一緒に探してあげることが,その子とかかわる出発点だと思います。
ダウン症のAくん(3歳児)にとって,2歳児クラスのBちゃんはとても気になる存在でした。すきあらば隣の部屋に出かけ,Bちゃんのほっぺをつねったり,かんだりしてなかせてしまうことがしばらく続きました。担当保母はどうしていいかわからず,遠ざけようとしましたが止まりません。そんな時に,他の保母に「かわいいから手がでちゃうんじゃない?」と声をかけられました。その一言で担当保母は次のような“ねらい”を持つことができたのです。
Aくんの気持ちをまず大事にうけとめる クラスは違っても気になるBちゃんに意識的に近づける Bちゃんと仲良くなる それからは食事の時に,隣のクラスで食べることにしました。席もBちゃんの隣です。顔を見ては同じものを食べ,お互いに「オシシイネ〜」とニコニコ顔です。午後の散歩の時も一緒です。保母がBくんに「Bちゃん,いっちゃうよ」と声をかけると「Bマッテ〜」と走り出すといった姿が見られるようになりました。
それから,半月経ったある朝,Aくんは2歳児クラスに「ハョ〜」と入って,Bちゃんの手をつかもうとしたので,「握手かい?」と聞くと,「ハイ」とニッコリしてBちゃんと握手。まわりにいた子どもたちも次々と握手を求めてきたので,Aくんも大満足でした。
1週間後のこと,Aくんに追いかけられて,Bは泣きながら逃げてきました。「Aくん,Bちゃんにおはようしたいの?」とたずねると,「・・・・・・シタィ」という。そこで,Aくんを抱っこして,「Bちゃん,Aくんがおはようしたいんだって」と言うと,Bちゃんの方から手を出して握手をしてくれたのです。そして,腕まくりまでして,Aくんの口に手をもっていくのです。驚いている保母の前で,Aくんがその手に“チュッ”,Bちゃんも大喜びでAくんのほっぺに“チュッ”,こんなほほえましい光景が見られました。
Aくんにとって,隣の2歳児クラスの部屋がやっと居心地の良い場になったのです。保育経験1年目で障害児付きになったこの保母さんは,このような場面を保育実践の中にかきとどめています。そして,この経験を通して,「ダメよ〜」と行動を抑えるだけでは事態は変わらない。子どもの気持ちを受け止め,積極的に保育の中に取り組んでいくことの大事さを学んだと結んでいます。
障害をもつ子だけに限らず,クラスから抜け出して,ホッとできる場を求め歩く子がいます。時々,事務室にふらりとやってきます。出入りの多い事務室では限界もありますが,その子どもたちの気持ちを少しでも受け止めてあげることも私の役目かなと思います。
ダウン症のAくんは事務室にいろんな音のでる笛を鳴らしたくてやってきます。軽い自閉症傾向のCくんはエンピツで細かく描いた絵を見せに,時には,はめこみ積み木で遊びたくてやってきます。始めは“アッ”とか“チッ”とかの一瞬の発生語での関わりだったのが,やがて心を通わせながらの関わりに変化していく喜びも感じさせてもらっています。これからも,子どもたちが“ホッとできる場”探しを保育者とともにしていきたいと思います。
II 大きな行事(合宿,運動会,卒園式)に
無理なく,楽しく参加するために
(スライド説明)
運動会や卒園式は日頃の保育とは当然,異なります。大勢の人たちが見守る中で行われます。年長児クラスになると,家や保育園から離れた場所で合宿にも参加します。障害を持つ子,その子ども以上に親はその日をどんな気持ちで待ち,迎え,参加しているのでしょうか?
合宿で
自閉症傾向のCくんは,日頃,クラスの友だちと関わって遊ぶのが苦手です。一人でブロックを組み立てたり,テレビゲームにでてきそうなマークを細かくエンピツで描くのが好きです。
7月上旬の合宿にCくんも参加しました。合宿する家に着くまでに山も森も越えなければなりません。同じクラスにダウン症のAくんもいます。Aくんは山や森を越えるのは体力的に少し心配で,フリー保母が付いて助けます。その点,Cくんの方は,他の子がひーひー言ってバテ気味の坂道も平気です。私はその日,先まわりをして,森のこちらでみんながやってくるのを待っていました。その夜,きもだめしをするお墓のそばで。
やがて遠くの方から子どもたちの声が聞こえてきました。まだ,到着には少しかかると思ったそのとき,バタバタと走ってくる足音が聞こえました。Cくんです。駆け寄って来て,自分が来た方を指さして,「ミンナ,アッチニイルヨ〜」と教えてくれたのです。こんなにはっきりしたCくんの言葉を聞くのは初めてでした。
日頃,友だちと別行動をとっているかに見えていたCくんの心の中には,まわりの友だちのことがちゃんと意識されていたのでしょう。友だちのことを指して“ミンナ”と言葉にしたのです。日頃と違った体験の中でこそ見られた姿ではないでしょうか。
運動会で
運動能力は“できる”“できない”で誰の目にもはっきりわかります。できるようになりたいのになかなかできない。友だちはみんなできるようになっているのに,そんな時の心の負担は大きいものです。
運動会の前になると,親たちには子どもをできる,できないで見ないで,やろうとしている気持ちを見てあげてくださいと伝えています。それでも,親は自分の子が大勢の人たちにどう見られるだろうかと気にしておられます。そのことを考えると,障害を持つ子の親の重い気持ちはいかばかりか。
Aくんが4歳児クラスの時,5歳児クラスと合同の紅白リレーに参加することになりました。担当保母はなんとかAくんにも走ってもらいたいと,その参加の仕方をあれこれ考え,Dくんと並んでAくんを紅組のトップバッターにしました。
紅白のバトンをもらったAくんは嬉しそう。「よ〜い,どん」で走り出しました。DくんはAくんの歩調に合わせて仲良く走ってくれました。拍手と声援の中,一周していよいよバトンを次の友だちに渡すときのことです。Aくんは赤いバトンを手放すのが惜しくなってしまったのでしょう,持ったままその辺をぐるぐるまわり始めました。観衆はその姿に一段と大きな拍手喝采をくださいました。満足したAくんはやっとバトンを話す気持ちになってくれました。そして,リレーは再開。
1年後,年長組になったAくんは,バトンを次の友だちにすんなりと渡せるようになっていました。マラソンも,距離こそみんなの半分ですが,飛び入りで走った私よりも足取りもしっかりと走り通すことができました。
卒園式で
卒園式で一番緊張する場面は,一人ずつ卒業証書を受け取るときでしょう。前日には2,3度その練習をするのですが,Cくんはどこかにいってしまっていません。Aくんの方がテレながらも一応やってくれます。本番はどうなることか。
卒園式当日,狭いホールには親たち,おじいちゃん,おばあちゃんや二十数人の卒園児でぎっしり。その異様な雰囲気にAくんはなじめずに,式にはとうとう最後まで参加してもらえませんでした。一方,一度も練習しなかったCくんは,始めからみんなと一緒に席にちゃんと座っています。5番目かでCくんが証書を取りに私の前へきました。渡した瞬間,Cくんは「コレ,ボクノトチガウ!」といったのです。予期せぬ言葉に私はあわてました。巻いてリボンで結んである証書が,その子のだとわかるように,エンピツで薄く名前をかいておいたのです。渡す順番に並べていたので安心してメガネをはずしたのが私の失敗のもとでした。Cくんの前にもらったEくんにCくんのを渡してしまっっていたことがメガネをかけてわかりました。Eくんの証書が残っていたのです。私はEくんの席に行って,「間違えて渡してごめんなさい」と謝って,Cくんのをもらってきました。それを渡すと,さっと目で確かめ,今度は満足して受け取ってくれました。Cくんに大きな拍手がわきました。
他の子があまり気にしていなかったエンピツの字に,一度もそれを目にしていなかったCくんが,瞬間的に自分の名前と違うことに気づいて,「チガウ!」と教えてくれたのです。これがなかったら,その後の子どもたちに最後まで中身の名前と違う証書を渡すことになっていたかもしれません。Cくんのおかげで私は救われたのです。
卒園式が終わって,太鼓の取り組みを親たちにみてもらうとき,練習には参加していなかったCくんがリズムにあわせ,相手の呼吸に合わせ,バチさばきも見事にこなしています。普段,みんなとは離れていても,リズムを感じ,それを身につけているCくんの力を見ることができました。
お別れの会食会もなごやかに終わりに近づき,親たちから担当保母二人に花束が贈られる頃になると,式には顔に出さなかったAくんが先生のところにかけ寄ってきました。その場がAくんにとっての卒園式になり,笑顔で卒園証書を受け取ってくれました。会場いっぱいに喜びの拍手がわきました。
ふたりはあと 10 日で保育園からいなくなります。たくさんのことを教えてくれたAくんとCくん。おおきな行事にこそ見せてくれたドラマの数々を胸のなかにいつまでも大事にしまっておきたいと思います。
III 親と共に小学校選び
小学校選びに今回ほど親と一緒に揺れたことはありませんでした。Cくんの親は“ことばの教室”のある近くの小学校を早くから決めていました。普通学級で,Cくんはどんな過ごし方をするだろうかと案じるのは私たちで,親の方は全く心配していない様子でした。
一方,Aくんのおかあさんは,秋からずーと小学校選びで悩んでいました。近所に同じダウン症の子どもを持つ友だちと一緒に,特殊学級のある小学校へ何度も足を運ばれました。そして,暮れには2校にしぼられました。特殊学級と普通学級がはっきりと距離をおいて分かれているように見えるS校と,全校生徒の数も少なく特殊学級の子も普通学級の子も交流があるようで,家族的に見えるK校です。
AくんのおかあさんがS校に気持ちが傾いたときは“同じ障害の子を持つ友だちと一緒の方がよい。それに,何となく,障害児には特別の指導をしているようだ。こちらの方がAくんの力を伸ばしてくれそう”という思いが強いようでした。しばらくして,K校に気持ちが動いたときは“特別学級と全校があまり垣根がない感じで,先生も子どもたちも家族的なのに惹かれる”と思われるのです。
担当の保母も私も,「おかあさん,こっちの学校の方がいいと思うよ」とは一切口にしないで,おかあさんの心の揺れに「そうだね,そうだね」と一緒になって揺れていました。
卒園式も終わって,いよいよ決断を迫られたときに,おかあさんの心も固まっていました。K校を選ばれました。ゆりかご保育園のように家庭的で,同じクラスのフウくんと一緒にその学校にいけるからというのが,その理由だと聞いて,私たちも「よかった,よかった」と胸をなでおろしました。
それから半年の間に,近くの児童館に放課後通っているCくんは,時々黙って抜け出して,知らぬ間にゆりかごの子どもたちの一員になって遊んでいます。事務室にも顔を出してくれるので,彼の成長を見ることができます。めったに顔を見せてくれないAくんのおかあさんには,「小学校よかった?」と電話をかけると,満足そうな声が返ってきました。
おわりに育ち合う関係を!
障害児と共に保育をして 23 年,その保育中で,私たち保育者も親たちも大きく育てられました。まわりの子どもたちも育ちました。
「3歳になる前の子どもには,障害を持った子と自分との違いがわからず,対等にかかわってしまうために,トラブルも出てきます。しかし,4,5歳児になるとだんだんその子のそのときの状態がわかるようになって,その子の気持ちを受けとめ,励まし,手を貸すこともできるように育ちます。日々の生活の中で,健常児がその子の障害を受けとめながらかかわっていき,相手を大事に思う心も培われ,クラス集団も高まっていきます。」と,障害児にたずさわってきた保育者が,その実践のまとめの中で述べています。
保育園の中で障害を持つ子どもたちが,楽しいなと思える場とお互いに育ち合う関係づくりを,これからも続けていきたいと思います。
備考:
<第3分科会(保育・保育者が意図して子どもに働きかける保育の条件) まとめ>
(注・ゆりかご関連抜粋)◆はじめに「共に生きる保育をめざして」
23 年間地域の子どもの健やかな発達を願って,保育活動を行ってきたことや「障害乳幼児を入れて,障害保育をしています」というような特別な保育をしているような考えはないことを保育の基本理念としている。ここでは,長い保育経験によって培われた保育の理念が,しっかりと実践によって裏打ちされ,その成果が障害児保育の一つ一つに生かされていることを感じさせる内容であった。続いて,
- 障害を持つ子どもがホッとできる基地づくり
- どんな参加で行事(合宿,運動会,卒園式)を楽しめるのか
- 親と共に小学校選び
- おわりに親の,子の,声なき声をきく
について,今年卒園したダウン症候群の幼児と自閉症傾向の幼児の指導に関する保育事例を通して具体的に紹介があった。
ダウン症児の事例については,新任保母への問題行動(かじる)や他児への他傷行動(かじる)の目立つ幼児に対して,かじる行動の抑制を図る指導により,コミュニケーション行動としての他児や大人との関係成立への理解を深めることができたものである。また,言語表出がみられなかったことから,『笛』を教材として遊びに取り入れたところ,「笛貸して!」のような言語が表出してきたことから,言語発達を促すための教材・教具の工夫した指導事例として,大変興味深いものであった。
自閉的傾向児の事例については,情緒の不安定さや固執傾向による遊びの固定化,対人関係の希薄さ等の問題に関して,安定して保母や他児との関わりがもてるような環境づくり,特に遊びの環境づくりと遊具の種類や内容に配慮して指導した結果,情緒の安定化と遊びに広がりが出てきたこと,他児と手をつなげるようになるなど,多くの成果があげられていた。 ◆スライドによる実践成果の報告(二人の事例を中心として)
友だち関係での他児との手をつなげるようになった場面 運動会での徒競走,リレーでのバトンの受け渡しができるようになった場面 お別れ会の場面 遠足の場面 卒園式の式とタイコの演技場面 (以上スライド映写)
卒園式における1年間の二人の行動変容の様子が,具体的に呈示・説明された。
◆その後の就学先について
ダウン症児の場合は,卒園まで就学に関しては悩み,揺れた。結果としては,家族的な雰囲気の学校を選択した。
自閉症傾向児の場合は,言語障害の進級指導教室の設置校を選択した。しかし,交流教育も十分行われていない状況がある。 ◆おわりに
事例の祖母からの便りの中で,就学した小学校の学級担任から,周囲の子どもに意識して接触したり,行動できるようになったことが祖母をいたく感動させたと報告し,幼児期の発達の重要な時期における適切な保育が,就学後の発達に大きく関わっていることを痛感させられるものであった。