ゆりかご保育園開園 30 周年記念「学習会」

【子どもも親も心から安らげる保育園】

感想

学習会の後に寄せられた感想を以下にご紹介します。

 一番印象に残ったお話は、非行の子どもが保育園に関わることにより変わっていったというお話で、今まで「地域に開かれた保育園」という言葉からイメージしていたものを超えた保育園の役割に気付かされました。私自身、今までそういう視点から保育園をとらえたことがなかったので、新鮮な驚きと共に、今や子供の全存在を認めて受け入れてくれるところって保育園くらいしかないのかなーという気がしました。

 お話の中で、親と保育者が、子供の具体的な様子を伝え合い子供の成長を喜び合うという話がありましたが、ゆりかご保育園ではそういうことができていると思います。

 ただ子供が小学校に行くと、そういう意味で伝えあいが、学校との間ではできず、学校での生活がブラックボックスになります。上の子は小学生ですが、学童での生活や子供の育ちは、指導員や他の父母たちから伝わってきますが、学校でのそれが見えず、そのことが、子供と接していく上での悩みにもなります。今回は保育園が学習会の主題だったので質問はしませんでしたが、本当は保育園→小学校低学年を見通した子育てのお話を伺えたら...と思いました。

 「親は子供をよく見て、子供の言い分をよく聞くことが大事」ということについて、よく見て、よく聞いて、子供の気持ちはよくわかった...でもその気持ちが、親の価値観とは反する...ということが私の場合多々あります。そういった場面、言い分を聞いていても、結局は親の権力によって子供を動かしてしまいます。すごく、大事なことなんだけど、実際にそれをするのは難しいと思います。

(母親)

 田中先生のお話をお聞きして「親」としてよりもむしろ「一人の人間」として『保育園』の役割・重要性を感じました。競争原理のない、無条件に成長を喜び合える世界として『保育園』が子供のみならず、大人そして成長過程の中で悩みを抱えてもがいている中・高校生の「心の安らぎの場」として、その存在を求められる時代なのだということを改めて実感致しました。

 先生のおっしゃる通り「ゆとりのなさ」が生活環境を変化させ、「子供の心」までにも変化を及ぼしている…そう思います。戦前の「生きること」に精一杯で、共に助け合う精神が自然と人々の心に宿っていたその時代から、「モノ」が溢れ、情報にふりまわされ、競争という名のストレスに追い立てられている今、本当に「豊かなモノ…人間にとって必要な豊かさとは何か」を問わなければならない時代に来ているのだと思います。

 親として子供の日々の変化を感じるスケッチ…きっと子供も「親や先生」をスケッチしているのかもしれません。そんな人を思いやったり、心の変化を感じ取れる『日常のスケッチブック』を持ちたい気持ちにさせて頂きました。本当に素晴らしいお話を有り難うございました。

(母親)

 子供・保育園という身近で興味のある話題、しかも学術的な表現でなく、わかりやすい表現また例示、あいがとうございました。

 我々親が難しく考えず、また親と子だけの問題とせず、外との関わり合いをもちながら子供のことを十分に見てあげる。今日の学習会で、子育てのヒントをもらったと感じている人はたくさんいたのではないでしょうか。また、機会がありましたら、お話を聞かせて下さい。

(父親)

 子育てにちょっと息詰まっていた時期だったので、心にカツを入れられた様なきがします。私は、常日頃から「子供が嫌い」とか「子供を受け取る感性がない」と思っていたのですが、日々のちょっとした心がけで、子育てを楽しく、子供を楽しく見つめられるものかもしれない。先生のお話を聞いていてそんなことを思いました。

(母親)

・子供の姿をよく見て、言い分をよく聞くと何を欲しているのかがわかってくる。
・子供は内面を言葉で正確に伝えられない、内面の世界(感情)を親が感じてあげなければ。

 特に印象に残ったのはこの二つ、常に自分に言い聞かせ子供とつき合って、向き合っていこうと思いました。それと、心に余裕が必要ですね、余裕がなければ上の二つもできませんね。

(父親)

 今日のお話はなかなか難しく、という言葉はおかしいのですがどうすればいいのか困ってきいていました。

 お話の最後に、「感じること 直感」という言葉が出てきたときに「そうそう」と思えました。いつも理屈でものを考えてしまう癖があり、子供に対して子育てして考えるときも素人でも(くせにと言った方がいいかもしれません)どうしても頭で考えてしまいます。やっぱりこのことだなあと。

 いえ子育てだけではないのです。自分自身も会社の中でも、自分の人間関係でもやっぱり足りないのは「感じること」かもしれません。わたしの周りにも同じことを思う(話をきいて気がつく)人もたくさんいるのではないかと思います。たくさんの人(保育に関係ない人)がこのような話に接する機会があればいいと思います。

 他にこのごろ感じていることで今日のお話に出たことですが「競争の原理」のことです。私は勝負事が最近嫌いになりました。仕事をしていると、今の世の中はお互いが高め合う競争ではなく、競争することが目的の競争が多くなって来ているように思います。社会人の中に割とあたりまえに後者の競争が入って来ているように思います。「必要は発明の母」という言葉が死語になってきているような気がしてなりません。この競争のための競争が大人に定着しかかっている(?)今、子供たちはどう感じているのでしょうか。子供たちと話をする中でどう伝えていけば良いのかいつも不安に思っています

 「保育園が争わなくても良い場所」(まちがっていたら申し訳ありません)ということを聞いて、「あっそうなのか」と思いました。私にとってもそういう場所が必要であるし、また多くの人がそう思うのではないかとここでも思うのです。子供はもともと競うことなど必要ないのかも知れませんね。これからも子供がこう育っていけるかどうか心配です。

 へたくそな表現でしかあらわせませんでした。ごめんなさい。今日はどうもありがとうございました。

(父親)

 私はこの学習会を企画したものの一人なので、無事終わってほっとしたというのが一番の正直な感想です。以前から先生のお話をお聞きしたかったのと、著書やちいさいなかまに載っていた先生のお話を読んで私がうけた「安心感」の様なものを、多くの子育てする仲間に感じてもらいたかったのが私の希望でした。

 後者につては、終了後「とてもおもしろかった」「もっと聞きたかった」「また、お招きしてお話を伺いたい」等の声が参加した父母から聞かれ、本当に良かったと思っています。前者の私の非常に個人的な希望についても、お話ひとつひとつに考えるところがありました。「今の子供たちは大人に気をつかっている」という最初のお話は、我が子のことを考えても「そうだよな」と思いました。

 子供は、自由気ままで素直なのが一番いいと口では言っても、私だって仕事もしたいし勉強もしたい、子供に対している時間がもう少し自分の自由になれば…と勝手なことを考えてイライラしたりします。子供は、それをちゃんと見ていて寝かせつける布団の中で、「きょうもおべんきょあるのかい?そっとおきてね、おべんきょがんばって」と頭をなでてくれたりします。

 一生を長い目で見れば、本当に手のかかる子育てが必要な、「今」という時間はほんの短くて、子供の日々の成長を見ている楽しさに比べれば、多少仕事や自分のやりたいことを後回しにしても十分おつりがくるとは思うのですが、当事者としてはそう思いきれないところがあって悩んでしまいます。

 これは、永遠の課題だなと思っていますが、幸いゆりかご保育園には、働く仲間であり人生の先輩である保母さんや、お母さんお父さんたちがいます。(後輩も確実に増えていますが)困ったときや、悩んだとき、ただ愚痴を言いたいときも、うれしいときも一緒に話し合える仲間に会えたことは、私自身にとって大きな財産の様な気がします。子供にもそういう心を許せる大人やおともだちがいるという幸福を体いっぱいで感じてほしいと願っています。

 今回の講演の感想とは少しずれてしまいましたが、ぜひこれからも先生のお時間が許せば、お話を聞き話し合える機会をもって頂きたいと思っています。本当に有り難うございました。

(母親)

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