ゆりかご ここ 10 年の歩み

時代の変化とともに〜
保育を創る
“ゆりかごの保育”ここ 10 年の歩み

はじめに

いま,子どもをとりまく生活環境は・・・・

1) 生活リズムの乱れ
2) 偏った食生活
3) 物があふれた消費型生活
4) 学歴,学力偏重の世の中
5) 親子の語らいが少ない
6) 育児不安の親が増えている
7) 車で移動,身体をうごかす広場もない
8) 子どもたち同士で遊ぶ姿が見られない

何を大事に保育をしてきたか

1) 園目標にどんなテーマをかかげてきたか
2) 保育の中で大事にしてきたこと
3) いろんな人と出会い,子ども,保育者,親と共につくりだす保育

保育情勢が変わりつつある中で

1)親の保育ニーズが変わりつつある
2)国は措置制度を解体するつもり
3)保育ニーズに応えながら私たちの保育をまもりたい

結び


はじめに

幌北ゆりかご保育園 矢島 満子
1995・10・1(開園22周年)

 可保育園となって20年。仮に5年をI期と考えますと,現在すでにV期目を迎えていることになります。種を蒔いたI期,その種が土の中でふくらんだII期。そして,その後,土の上に芽が顔を出し,ふくらんで伸びていったIII期〜IV期の10年間の保育を今,ふりかえり,ふっと,一息をついて,次の若葉萌えるV期につなげたいと考えています。

 その間の保育や子育てをとりまく社会の状況(とりわけ国の保育制度の改革の動向も含め)や生活環境の移り変わりも併せて見ていきたいと思います。

いま,子どもをとりまく生活環境は・・・・

1) 生活リズムの乱れ

 子どもは大人の生活に即,左右されます。夜8時を過ぎて本当はもう眠たいのだけれど,蛍光灯はいつまでも明々とついているし,大人たちはテレビを楽しんでいるしで,子どもはなかなか寝付かれません。訳も分からないテレビに付き合って,夜11時頃までゴロゴロしている子もいます。大人の生活が夜型になり,朝,起きるのも遅くなると,子どもの生活リズムも同様,朝の目覚めもすっきりせず,食欲もなく,保育園にきてからの遊びにも気分がのりません。子どもの成長に欠かせない早寝早起きの生活を心がけている家庭はどれほどあるでしょうか。

2) 偏った食生活

 日本の伝統食が家庭の食卓から姿を消していき,手早く料理のできる洋食が登場するようになって久しくなります。野菜の煮物や魚料理よりもカレーライス,スパゲティー,ハンバーグの味になれ,肉食を中心に,フライやいためものに油をたっぷり使い,卵料理に季節はずれの野菜をきざんだぱさぱさのサラダといったパターンが定着してきた今,“おふくろの味”も通用しなくなってきています。

 うした高蛋白に偏りがちな食生活が一因となり,アレルギー疾患を引き起こし,保育園の給食にも深刻な問題をもたらしました。その上,成長期の身体づくりに良くない,コーラ,ジュース,ケーキ等の糖分やスナック菓子などの脂肪分,塩分の取り過ぎが成人病の低年齢化をすすめています。輸入食品や農産物,海産物に多量に用いられている農薬や防腐剤等の添加物による身体への影響も大きな問題をかかえています。

3) 物があふれた消費型生活

 市場には有り余るほどの物があふれています。家庭においても整理出来ない程のものでいっぱいです。それでも流行におされて捨てては買いの消費生活に私たちはどっぷりつかってしまっています。カードローンの出現で現金がなくても,欲しいものが直ぐに手に入ることから,衝動買いの癖もつき,なおさら,消費型人間を生み出しています。サラ金地獄で職を失い,家庭を壊し,蒸発を余儀なくされる人もあとを断ちません。最近ようやく,リサイクルや手づくり活動が盛んになってきたようですが,物を大事に扱う気持ちはまだ,薄れているように思います。

 こうした大人社会の影響を受けて,自分のもちものを大事にせず,自分のものがなくなってもさがそうとしないで,直ぐ,新しいものを買って欲しいとねだる子も増えています。

4) 学歴,学力偏重の世の中

 自分の子どもをなんとか会社や役所でエリートコースを歩ませたい。“お受験”という言葉がはやる程に,我が子を一流大学に入れるために母親はやっきとなります。そのために受験に有利な高校をめざすことが目標。中学教育は予備校化し,子どもの希望は無視され,学力順位によって進路が決められます。小学生も塾に通い,勉学にいそしむ毎日。大都会では一流の私立の小学校に入学させるために,幼児の早期教育のみならず,乳児,出産前からの超早期教育におどらされています。いま,親や社会がきめたコースに乗れなかったり,友情よりも学力レベルで進学先を考えなければならなかったり,学校からも親からも見離されて悩んでいる気持をどこにぶっつけたらいいのかわからない子どもがいっぱいいます。そこから派生する“いじめ”や家庭内,校内暴力の問題も対策もなく未解決のまま,子ども自らが生命を断つという痛ましい犠牲を出しているのです。ゆりかごの子どもの中にも時折,“一番病”“自分だけ”の姿が見受けられます。

5) 親子の語らいが少ない

 や,テレビのない家庭はない。家族に一台ずつ自分の部屋にテレビを備えるようになったと聞きます。家の中でコンピューターにワープロ,テレビゲームにファミコンやテレビなどを相手にそれぞれが別々に過ごす時間が多くなってきているとも言われています。父親は残業の毎日。夕食も家族揃ってできない家庭のほうが多くなっています。

 一家団らんや親子の心を通わせる語らいの場も失われつつあります。親が口を開けば,“早く〜しなさい”“どうして〜できないの”“もう,知らないから勝手にしなさい”“あっちへいってなさい”“ダメ!”“何回言ったらわかるの!”など命令したり,否定,禁止の言葉が多いのです。だから子どもの方も“うるさいな〜”“わかったよ〜”“やりゃいいんだろう〜”“いいかげんにしてよ〜”“あんたなんか関係ね〜だろう”“ほっといてくれよ〜”と応えるようになるのです。会話は本来,人と人の心を深め合い,心を育て合うものなのに,かえって,親子の関係,心の結びつきを離してしまう結果を招いています。

6) 育児不安の親が増えている

 最近,核家族がすすみ,子どもが生まれても,あやし方や子どもの扱い方のわからない若い親が増えてきています。小さい頃から,赤ちゃんの世話も子どもと接する経験のないまま,子どもを産んでしまう場合が多いのです。保育園に入ってきたばかりのお母さんの中にも子育てに自信のない方が多く見受けられますが,その内,親同士,保母さんとの交流で育児不安も徐々に解消されていく場合が多いです。

 しかし,隣近所のだれにも相談できず,ひとりぼっちで子育てに悩んだ末,育児ノイローゼに陥ったり,自分の子をかわいいと思えなくなったり,虐待するまでに至る母親の問題は深刻になってきています。

7) 車で移動,身体をうごかす広場もない

 一日のうち,汗をかくほど歩いたり,身体を動かしたりの時間が少なくなっています。車を利用し始めると,目的地まで歩いたり,バスや電車に乗ったりがだんだん億劫になってきてついつい車を使ってしまいます。排気ガスで大気汚染,地球環境問題が深刻化するほどに車の台数が増え続けています。

 幼いうちからデコボコ道や坂道に石ころ道などいろんな道を歩くことで足腰がしっかり鍛えられるのですが,そんな自然や広場や道がなくなったり,車の移動によって,その体験も奪われています。大人も子どもも運動不足で筋肉や骨格の成長が心配です。

8) 子どもたち同士で遊ぶ姿が見られない

 子どもが家から抜け出して遊びたくなるような場所も少なくなり,幼児から小学生たちが一緒に連なって日が暮れるまで遊びほうける近所の友だちもいなくなりました。整備された公園での遊びも親の監視のもと。いたずらをしては近所のおじさんにどなられるという関係もなくなりました。塾,スポーツクラブに通う子,家で一人でテレビゲームやファミコンに熱中する子。いま,子ども同士の関係はずたずたの状態です。子ども同士で遊ぶ姿はほとんど見られなくなりました。

 以上,今,目の前の子どもをとりまく生活環境の幾つかを取り上げましたが,それらどの項をとっても,決して子どもに好ましい状況ではありません。子ども自らの力で育つことも難しいし,親もまた子育てしにくい環境に置かれているようです。

 この様な状況に合わせて,保育園の果たす役割や在り方もここ数年,考え直され,ずいぶん変わってきました。こどもたちと一緒に親たちも育っていけるような保育園,また,子どもを保育園に入れていない地域の若いお母さんたちの育児相談にも応じていけるような保育園が望まれるのだと思います。


何を大事に保育をしてきたか

 上記に述べた子どもをとりまく生活環境の悪化,複雑な変化などの子どもへの影響をふまえながら私たちは何を大事にしながら保育をしてきたかを見ていきたいと思います。

1) 園目標にどんなテーマをかかげてきたか

 当園では10数年も前から,子どもの育ちで気になることをその年のテーマとし,園目標と称して,毎年,一年を通して,親と一緒に考え合い,取り組んできました。ここ10年間のテーマを大体,項目別にまとめて次に紹介します。(その年によっては次の・印のついたテーマが二つ,三つと重なったり,同じテーマが何年も続いたり,数年前のテーマが再び登場する場合もある)

 以上大きく分けると整理整頓,ものを大切にの問題,子どもの言葉の問題,食事の仕方や内容の問題,早寝早起きなど生活リズムの問題を主として取り上げ,その年の保育の重点事項として,園だよりやクラス懇談会を通し,親と職員間で繰り返し伝え合ってきました。

 そのことで直ちに子どもの状態,育ちがよくなるというものではありませんが大人の側が子どもに目や心を向けたときに,子どもがそれに応えてくれるという幾つかの例を体験できたように思います。

2) 保育の中で大事にしてきたこと

 保育をするに当たっては,まず子ども一人一人の発達の状況をつかみます。そして,まわりの子どもたちと一緒に無理なく,楽しめる課題を持ちます。私たちが保育の土台にしっかり据えてきた事柄について次にまとめてみたいと思います。

《からだをうごかす》

 私たちの身体の手先から足先まで,それぞれの部分が,日常生活に必要なときに,必要なだけ自由に,しかも,しなやかに動いてくれる。このことが生きる力につながっていくことなので,保育のいろんな活動を通して,身につけてもらうように働きかけてきました。
さらに,生活をより楽しく豊かにするための運動(体育やスポーツ,遊びを含め)に慣れ親しみ,喜んで参加できる子どもになってもらいたいと願っているのです。しかし,そのためには,その年齢に身につけて欲しい運動の力を保育者がいかに子どもに伝え,どんな活動をどのように取り組んでいくかが重要になってきます。身体を気持ちよく動かすことは心身共なる健康に欠かせないことだと思います。

《心を育てる》

 “できる”“できない”がはっきりわかる活動だけを見て,子どもの育ちを判断してしまいがちな時代にあって,私たちは,できるまでの子の心の動きを大事にしてきました。友達のするのをじっと見ていることも興味を持った証拠。見ながら,やってみようかなと思っていることも,うまくできないけれどちょっとやってみようかなという気持ちも見てきました。ただ“がんばれ,がんばれ,○○ちゃん”の連呼ではなくて,その子の気持ちに合った適切な言葉かけによって,心が動き,意欲も育っていくのではないかと思います。やりたいことをやりとげた時の“わーい,やったー”という達成感,満足感が他の活動への意欲にもつながっていく子どもの姿をたくさん見てきました。子どもは生活のいろんな場面で,心を動かしています。その中で,小さいものや弱いものへのいたわりや,やさしさが育って欲しいと思っています。

《友達と関わる》

 いろんな人とかかわることで人として成長していくはずなのに,私たちは職場で,家庭で,人とのかかわりが下手になっています。人とかかわる力の原点はやはり母と子の関係,心をかよわせ合える関係であると考えます。昼間,保育園で育つ乳児には保育者と心を通わせ合う関係が出発点。そのうち,一緒に食べたり,遊んでいるうちに自分以外の存在に気づき,興味を持ち始めます。やがて,友の存在をはっきり意識するようになると,モノや先生の取り合い,言葉で自分の気持ちをまだ伝えられなくての噛みつき,引っ掻き,髪の毛のひっぱり行動が出てきますが,子どもはこうしたやり取りの中で自然と友とのかかわりに必要な言葉を覚えたり,交わる楽しさを身につけていきます。乳幼児期に友達と一緒にいることが楽しくてたまらない経験や親やまわりの人のあたたかさが伝わってくるような交流をたっぷりすることが,大人になった時の人間関係の土台になるのではないかと考えてきました。

《話し合う》

 は人と話し合えるようになって,はじめて人と言えるのでしょう。乳児が発するアーアー,ウーウーのなん語も1才前後の指さし行為も前述した引っ掻き,噛みつき行為も人と話し合うためへの道筋ととらえてきました。子どものそうした状態をただ見てるだけ,放置しておくのでなく,保育の中で工夫し,時間をかけて,話す力を引き出していきます。

 言葉の獲得は大人の言葉を聞くことから始まりますから,大人の言葉かけ,特に,子どもが解る言葉かけに注意してきました。また,子どもが話せるようになると大人は話し過ぎないで,子どもの話をじっくり聞いてあげることを大事にしてきました。このことが話し合う力を身につけていく土台だと考えています。幼児になると保育園生活で,遊びの中で困ったことが起きたとき,自分達で計画をたてて何かをやりたいと思った時,保育者対子どもだけにとどまらず,子ども同士が話し合え,自分達で解決方法を考え合い,自分の意見を伝える力も少しづつ身につけていって欲しいといろんな場面で働きかけています。これは将来,民主主義を守っていける大人になるための大切な活動だと思います。

《手を使う》

 乳児期には保育者の手作りおもちゃで指先や手首を使っての遊びを楽しみ,やがて,積み木や紙粘土などで形をつくり始めます。2才児クラス白玉だんごづくりに始まって,やまぶどうのジュース,ホットケーキ,サラダ,よもぎ団子,カレーライスなど自分達の大好きなおやつや食事を自分の手でつくります。また,自分たちでつくったおもちゃなどでお店やさんごっこ,遊園地ごっこ,レストランごっこをして楽しみます。毎年,12月に親を招待して一緒に遊ぶという行事も定着してきました。親,保育者,子ども共々自分の手でものをつくりだすことに喜びを感じていけたらいいなーと思います。

《表現する》

 乳児は顔や声,泣き声などの表情で自分の気持ちを表します。子どもは歌うこと,描くこと,リズムにのること,言葉や身体で自分の気持ちを表すことが大好きです。2〜3才頃には犬になりきったり,お母さんになったふりなどしてごっこ遊びを楽しみます。また,繰り返し読んでもらった絵本の登場人物になりきって,そのお話の世界に入り込んで劇ごっこを楽しみます。そして4〜5才頃になると,それらの力を集めて劇遊びに熱中します。3月の“お別れ会”で他のクラスの友達にも見せることも喜んでするようになり,行事として定着してきています。

 最近,年長組の子どもが自分の楽しいと思った,一番印象に残った体験を絵の中に自分の気持ちをいきいきと表現できるようになってきています。これからも,美しい声,言葉,音,歌,絵,話,心に大人も子どもも感激し,自分も喜んで表現するそんな体験を広げていきたいと思います。

《自然と関わる》

 保育園の庭のように,北海道大学の広大な自然があって,四季折々の季節の移り変わりを草花や樹木にふれながら感じることができて幸せです。余程の悪天候でない限り,どのクラスも散歩することが日課になっています。その中で蟻さん,いぬ,馬,牛,わらじ虫など昆虫や動物と身近にふれることができます。また,たんぽぽ,キンポウゲ,つくし,よもぎ,どんぐり,ぎんなんなどの植物にも親しんでいます。そして,石ころ,木切れ,葉っぱ,砂,雪,氷,どろんこで遊びながら,図鑑ではなくて“自然”とじかにふれながらからだで学びあっているのです。北大の庭を散歩しながら“へなそうるの森”,“お化けの森”,“くじら山”また,三角山から大倉山シャンツェ〜小別沢〜ばんけいの山林を歩きながら“小さな魔女の森”などと名付けて,自然の中で子どもたちの夢をふくらませております。また,畑仕事は保育活動で欠かせません。畑にする土地もない中で,毎年,工夫しながら,いちご,ミニトマト,じゃがいも,にんじんなどを植え,育てています。近くに畑にできるような土地がほしい,それが,今一番の願いです。住宅事情や子供が自然にふれられるような場がどんどん失われていく事情,大気汚染や農薬の問題も考えながら,子供たちのために“自然”を守っていきたいと思います。

《遊ぶ》

 乳児はあやしてくれる人の顔や自分の指の動きに興味を示したり,目の前のおもちゃの動きや音に心を動かし,目を向け,耳を傾けたりします。やがて,その方に手を伸ばし,つかもうとします。時にはシーツやタオルのはしをもおもちゃにして遊びますが,あやしてくれる人がそばにいるとより生き生きと嬉しそうに遊びます。持ったり,つまんだり,振ったり,たたいたり,引っ張ったりの動作ができるようになると,興味のあるものをおもちゃにして同じ動作を繰り返しするようになります。出したり,落としたり,ひっくりかえしたりのいたずらも子どもにとっては遊びのひとつ。1〜2才になって一人遊びや大人とのやりとり遊びから周りの子の動作が気になり始め,隣で同じことをやっていて,一緒におもしろがったり,声をあげて喜んだり,笑ったり仕合うようになります。2才頃を過ぎて見られるようになるみたて遊びやつもり遊びも一人から始まり,保育者が子どもをつなげる役割をしながら,やがて大人抜きで,子ども同士でごっこ遊びも楽しめるようになります。また,人と人がかかわる遊び,“いないいないバー”にはじまって,“マテマテ〜”の先生の声に追いかけられることを楽しみ,先生と一緒に友だちを追いかけたり,追いかけられたり,かくれたり,つかまえたり,つかまえられたりのスリルを味わえるかくれんぼや鬼ごっこも子どもの大好きな遊びです。簡単なルールを覚え,やがて,複雑なルールを自分たちで考え,つくりだしながら遊んでいます。昔から伝わり子どもたちが楽しんできた伝承遊びも,今では家や地域では伝わらなくなりました。保育園では年長の子から年下の子へと伝承しながら,わらべうた,なわとび,竹馬やお正月遊びを中心にかるた,羽つき,こままわしをして楽しんでいます。遊びを通してからだや手先を使い,友と一緒に考え,作り出し,スリルに心を動かし,楽しい思いや悔しい思いをいっぱい体験しながら子どもたちに生きる力,楽しさ,意欲を身につけていってもらいたいと思っています。

 以上のような保育を生み出すために,私たちは多くの人から学び,いろいろな人に支えられてきました。そのことを次に振り返ってみたいと思います。

3) いろんな人と出会い,子ども,保育者,親と共につくりだす保育

☆ いろんな人と出会い,学んだ保育

 私たちの保育は保育者が参加する様々な研究会の分科会の討議や講演内容からたくさんのことを学びました。また,保育園に各専門の先生方が直接来て下さって,学習する中で,自分たちの日頃の保育を見直すきっかけを与えて下さいました。そして,保育者のそれぞれが学びえたものを実際の保育の中で,まわりの保育者にも伝え合い,その成果を共有してきました。いくらいい保育理論,保育方法も私たちがそれまでに時間をかけて築いてきた保育の中に溶け込んでくれるものと,そうでないものがあります。目をみはる程の保育の大きな変化は見えなくても,一日,一日,一年,一年の保育を積み上げていくのが私たちの保育なんだと保育者間で確認してきました。

☆ 子どもと共につくる保育

 子どもたちも保育の原点ともなる数々の貴重な学習をさせてくれました。保育者の言葉かけひとつでいろんな反応を示し,目を光らせてじーっと聴き入ったり,そっぽを向いたり,部屋から出ていったりします。そんな子どもの姿から保育者は反省したり,自信をつけたり,自分の保育の腕を磨いたりしていけるのです。保育者がひらめいたどんなすてきな保育活動も子どもの要求や気持を無視したものは,いい結果が得られないことがありました。やはり,子どもの姿に教えられ,学ぶことが多かったのです。25年前に無認可の共同保育所から出発し,5年間,0〜1才児の保育を手さぐりでしていた時から,まず,子ども一人一人の現状をつかむことから始めました。それは25年を経た今も,保育者が保育の課題を探っていく基礎になっているのです。子どもの姿,心,ことばに保育者の心や目を向けることが保育者の一番大事な仕事だと私たちは考えてきました。ですから,ゆりかごの保育は子どもの姿から学び,出発し,子どもと一緒に創りあげてきたものだと言えるでしょう。そして,時代と共に変化する子どもの生活環境を見据えて,育ちの現状をしっかり見つめながら,これからもゆりかごの保育を時間をかけて一歩一歩積み上げていきたいと思います。

☆ 父母,地域の人たちと共に歩む保育

 ゆりかごの保育はずいぶんいろんな人たちに支えられてきました。無認可から認可保育園をめざし,自分たちの求める保育のできる園を自分たちの力でつくろうとした父母,そして,その父母たちと常に一緒に保育内容づくりを考えてきた私たち保育者。園舎建設の際の借金が20年がかりで返済できたのも,自分たちがつくった保育園の自分たちの保育を守ってきた後援会を中心とする父母たちや職員たちの意気込みと地域のたくさんの人たちの支えがあってのことでした。1992年には“ゆりかご後援会”を“ゆりかご保育園を育てる会”に改めました。これまで以上に卒園児親子や地域の広範な人たちと交流を深めていくことを願って,年2回,ゆりかご通信を発行するようになりました。時代は変わっても,父母の会の活動は益々盛んで,内容も時代に合わせ豊富になってきています。子育ては母親だけのものではないとつくられた“おやじの会”に集まるお父さんたちの数も年々増えています。子どもを通して親同士が仲良くなり,家族ぐるみのつき合いが深まり,広がっているのは嬉しいことです。子どもと共に保育者や親たちも育ち合っていけるような保育園の歩みをこれからも続けていきたいと思います。

保育情勢が変わりつつある中で

1)親の保育ニーズが変わりつつある

 ポストの数ほど保育所をの運動で,急増していった 1970 年代の勢いは 10 数年前頃からピタリと止まりました。全国平均の出生率も 1.5 を割り,道内は 1.3 にまで落ちました。結婚しても子どもを生まないか,生んでも一人か二人。こうした少子化現象が進む中,子どもが集まらなくて,欠員を出す保育園も目立ち始め,閉鎖に追い込まれる所も出てきました。

 一方,職場では男女雇用均等法や週休2日制がすすんだここ 10 年。男性同様,夜遅くまで仕事に追われるキャリアウーマンが増えました。そして,土曜日が休日の職場ではその分の仕事が平日にしわ寄せられ,仕事内容,時間とともにきびしくなっています。子育て中の女性は子育てや家事と仕事の両立が難しい状態におかれています。現在,大半の保育園では夕方6時まで。午後6時以降の時間延長,夜間保育の要望が高まっています。

 子どもを産んで働き続けたい女性も子どもを保育園に入れるまでには色々と大変です。今では産休明けの0才児を受け入れる保育園も増え,以前よりは入園しやすくなっていますが,年度途中の入園はまだ難しく,無認可保育園に頼らざるを得ない状態です。また,最近では子どもが満1才になるまで育児休業をとる女性が増えていますが,産休明け同様,希望する月から入所できる保証もないので,やはり,保育園探しが大変のようです。緊急入所ですこしは解消されているようですが。

 保育園に子どもを入れている親にとって困るのは子どもが病気になった時。保育中,38 度以上の熱を出すと,保育園から“お迎えください”の電話がかかってくるので,周りの人にも気を使わねばなりません。病気が何日も続く場合,近くに親戚や知人で見てくれる人がいないとお手上げの状態になり,“病児保育”の要望も高まっています。(医者も看護婦も配置しない国の保育予算の中で,やりたくてもやれない事情が保育園側にあったのですが。)

 以上,乳児保育,延長保育,夜間保育,緊急〜一時保育,病児保育など,保育ニーズもどんどん多様化し,広がってきています。それらの保育ニーズに応えてこなかったのは,あたかも認可保育園であるかのように宣伝されていますが,決してそうではありません。それにかかる保育予算を本気で組もうとしなかった国の保育政策の立ち遅れにあったのです。

2)国は措置制度を解体するつもり

 10年前(注・当時),国は保育予算を削減するために,措置費のうち,国の責任で負担する文を 10 %引き下げ,それまでの 10 分の8から 10 分の7にしました。翌年,さらに 20 %下げて 10 分の5とし,はじめは暫定的と言っていたのを6年前から固定化してしまいました。保育の責任を国から地方自治体へ移行していく動きもこの頃から進められてきました。こうして見ると,行政改革という大義名分でもって,措置費制度解体への動きは 10 年かけて,着々と準備されてきたことがわかります。

 厚生省は2年間前の 1992 年 12 月,公立保育園の人件費の一部を一般財源化する方針を出してきました。それが多くの反対にあって,実施不可能と見るや,翌年 1993 年 11 月には年収 500 万以上の家庭に対し,保育所直接入所の導入を打ち出し,何がなんでも,現行の保育制度を解体したいという強い態度を示してきています。これに対して,厚生省が要請して意見を求めた保育問題検討会の報告の中でも,大半の委員がこの“直接入所導入”に難色を示したので,実施は棚上げされたままになっています。しかし,措置費制度を崩していきたいという厚生省の態度は変わっていません。

 認可保育園が直接入所の導入に踏み切れないのであれば,と出してきたのが,今,話題の駅型保育所。企業と提携して,国から5年間,年 5000 万円の補助を受け,親が望むあらゆる保育サービスを一手に引き受ける保育園としてマスコミをつかって売り出し中です。保育を児童福祉の分野から育児産業,ビジネスにゆだね,利用者が保育サービスを受けた分だけ利用料を支払っていく保育システムづくりをねらっているように思われます。認可保育園に対して子どもを獲得したければ,どんどん保育サービスを提供し,企業型の保育園になるようにと追い込んでいくのがねらいのようです。

3)保育ニーズに応えながら私たちの保育をまもりたい

 “すべて国民は,児童が心身ともに健やかに生まれ,且つ,育成されるよう努めなければならない。すべて児童は,ひとしくその生活を保障され,愛護されなければならない。”この文章は児童福祉法の第1条にあり,その精神です。これを行う責任は第2条“国及び地方公共団体は,児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。”とあります。私たちは子どもの心身の発達を保障していくことを第一に考えてこれまで保育をしてきたのですが,いま,親の保育ニーズが先ず優先,保育園は保育サービスをする利用施設になっていく傾向が見られます。

 子ども,とくに乳幼児期の子どもは自分のおかれている状況について発言できません。親が選んだ親にとって都合のいい環境におかれても子どもは他と比較できません。人格や身体の発達の土台をつくる人生でもっとも大事な時期が乳幼児期です。自分の生活環境を自分で選ぶことができない幼い子どもたちだからこそ,大人が守ってあげなければならないのだと思います。

 そのことを十分と考慮に入れた上で,親のニーズに対してどこまで答えていけるのかを検討し,保育条件を整えつつ,実践していくことが保育園に求められている緊急課題だと思います。このことは保育園の企業努力(厚生省のお役人言葉)だけでできるものではありません。保育園は親や保育者とともに,国や自治体に対して保育条件をよくするための声をあげていく必要があります。

 1993 年4月より私たちの保育園も札幌市の指定を受けて,早朝保育(午前7時 30 分より)と夕方との延長保育に踏み切りました。ここに至るまでには親たちの自主運営による5年間の早朝保育があり,父母の会も一緒に考え合い,親たちの努力で自主運営した夕方の延長保育2年間の経験がありました。これまでの保育の質を決して低下させないで,子どもの育ちを第一に考え,保育者の労働条件を守りながら,保育時間の延長を必要とする親たちの要望にも応える保育条件づくりをしてきました。

 このように,これからも親も努力し,保育者も討議を重ね,時間をかけて保育条件づくりを一歩,一歩進めていきたいと思います。

結び

 10年間の保育実践をまとめる保育者共々,その間のゆりかごの保育を振り返ってみました。この仕事を通して,“ゆりかごが存在する意味は何だろう”,“ゆりかごの保育って何だろう”と,問い直す機会を与えられたようにおもいます。そして,ゆりかごの保育の根底に流れている“心”を見ることができるように思います。“個人の利益だけでなく,個人が属する社会の一員として自分にも他者にも責任を持ち,より人間らしくいきられる社会をみんなでつくり出していくことに生き甲斐を感じる人間づくりをめざしたい。”という保育方針をわたしたたはかかげてきました。その“心”は時代が移り変わり,社会がどのように変化しようと,生き続けているんだな〜と感じました。社会が混乱し,自分さえよければという時代にあって,私はこの方針を繰り返し自分自身に言い聞かせてきたように思います。そして,時代やイデオロギーを越えて,“生きる指針”として,これからもこの保育方針をまわりの人たちと一緒に考え合い,育ち合っていけたらいいなと念じます。