ゆりかご 園だより
2001年度分

 毎月はじめに発行している「ゆりかご園だより」には,コラム欄と今月の予定などの欄があります。
 その中から矢島園長が書かれているコラムを毎月掲載します。


「子どもの権利」
'02年03

 全国私立保育連盟が発行している保育通信2月号の”ことばの散歩”に次の 文が紹介されていました。
 子どもには友だちをもつ権利がある。そうでないとちゃんと成長できない。子どもには平和に暮らす権利がある。平和に暮らすというのは、健康に暮らすこと、人といっしょに暮らすこと、おもしろいものも囲まれて暮らすこと、友だちをもつこと、飛ぶことを考えること、夢を見ること。子どもは知らなかったら間違える権利がある。なぜかと言うと、問題と間違えがわかったらそのあとを知ることができるから。ぼくたちは権利をもつようになった。そうでなかったら悲しくなってしまう。
(エドワーズ他編・佐藤学他訳「子どもたちの100の言葉」(世織書房)より)

 私はこの中の”子どもは知らなかったら間違える権利がある。”のところに目が止まりました。子どもたちは大人からちゃんと伝えてもらっていなくて、まだ知らないから間違えてしまうのに、大人から大きな声でおこられたり、「ダメよ」の目でみられてしまう。
 大人たちは知っているのに知らないふりして、間違ったことをしてしまう。何度も繰りかえして...。「大人には知っていても大きな問題をおこす権利がある」のでしょうか。
 子どもたちはそんな大人たちの姿を見て育っているのです。

「何ができるのでしょう」
'02年02月

 去る1月11、12日に開きました「これからの保育園はどうなるの?どうするの?」2日連続学習会への参加、おつかれさまでした。
 国内外で、先の見えない、不安な日々が続いています。そんな中、子どもたちは生命を得て、育っているのです。この子どもたちのために、今、私たちは何ができるのでしょう。そんなことを考えている時に、詩人、河井酔落さんの「ゆずりは」という詩に出会いました。ご一緒に味わってみたいと思います。

ゆずりは
河井酔落

こどもたちよ、
これはゆずりはの木です。
このゆずりはは
新しい葉ができると
入れ代って古い葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる、
新しい葉にいのちを譲って
こどもたちよ、
おまえたちは何をほしがらないでも
すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
太陽のまわるかぎり
譲られるものは絶えません。

輝ける大都会も
そっくりおまえたちが譲り受けるものです。
読みきれないほどの書物も。

みんなおまえたちの手に受け取るのです、
幸福なるこどもたちよ、
おまえたちの手はまだ小さいけれどーー。

世のおとうさんおかあさんたちは
何一つ持っていかない。
みんなおまえたちに譲っていくために、
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命に造ってします。

今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちは伸びる
鳥のように歌い花のように笑っている間に
気がついてきます。

そしたらこどもたちよ、
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう。

「ふりむいて...」
'02年01月

2002あけましておめでとうございます。

 『昨年は”ひとりひとりの命を大切に”という言葉がむなしく感じる一年でした。何を振り返り、何に向かって歩めばよいのか。今年も子どもたちとのひととき、ひとときをかみしめながら過したいと思います。』とは今年の年賀状の言葉です。この様に書きながら高田敏子さんの詩を味わっていました。

ふりむく

高田敏子

そのとき馬は
何を見るのでしょう
その時小鳥は
何を聞くのでしょう

ちょっとふりむいて
子供はまた駆けてゆきました
ふりむいたことなど忘れて---
ふりむいて
ふりむかせたものを探すのは
おとなだけかもしれません

 私たちは「戦争」と「科学の進歩」の20世紀、日本の「高度経済成長期」の頃や「IT革命」に振りむいています。そして今、たくさんの失業者や自殺者をうみだしている社会をみつめています。子どもたちのまわりを見渡せば、幼児虐待、少年犯罪、学級崩壊の問題をかかえています。

 あの9月11日の連続テロ事件、それに対するアフガン攻撃は私たちの21世紀にかける夢や期待を裏切ってしまいました。

 この暗くて、悲しくって、不安な気持ちを明るくて、楽しくて、夢いっぱいにしてくれるものはいったい何でしょう。家庭や保育園、職場の中で、このことを考え、実行する一年でありたいと心からねがっています。

「大切なものを 落としていませんか」
'01年12月

 12月に入ったとたん、急に気ぜわしさが増してきます。ふと、茨木のり子さんの詩が目にとまりました。

12月のうた

熊はもう眠りました
栗鼠(りす)もうつらうつら
土も樹木も
大きな急速に入りました

ふっと
思い出したように
声のない子守唄
それは粉雪 ぼたん雪

師も走る
などと言って
人間だけが息つくひまなく
動きまわり

忙しさとひきかえに
大切なものを
ぽとぽと 落してゆきます

 12月だけでなく、昨年も、今年も1年を通じて、何だか国内、国外から飛び込んでくるショッキングなニュースに追いまくられ、心がうばわれていたように思います。

 「大事な感性を失っていませんか、1番身近で大切なものを落していませんか」と、茨木のり子さんの声がきこえてきます。

「子どもらに伝えたい文化」
'01年11月

 あと、いくつ寝ると「熱燗パーテイー」と1ヶ月以上も前から計画、準備を着々とすすめておられるおやじの会の方たち。

 玄関に大きくかかげてあるメニューのお知らせは見るだけで食欲をそそります。

 4月から美瑛に単身赴任のkとーさんは「大雪山おでん」、Sさん、Oさんは本場仕込みの「水ぎょうざ」、総料理長を称するS村とーさんの「絶品料理」、ソムリエN口とーさんのカクテルなど。年々、この「あつかんパーテイー」にかけるおやじたちの味と情熱に深まりを感じます。

 その昔、S間とーさんが東北仕込みの煮込みうどんをつくっておられた姿を思い返しながら、後に続くおやじたちがその伝統を受けつぎ、ゆりかごの楽しい行事として定着させておられることは嬉しいですね。そういえば、去る18日の「食」を考える会の時に、おやつづくりをしておられたのもM坂、K林とーさんでした。

料理をつくっている男性の姿を見るのはレストランや料理店だけでなくて、日常家庭の中で男の人もお料理をつくっているんだという姿をぜひ子どもたちに見てもらいたいと思います。男の人も女の人も女の子も男の子もみんな楽しく食事をつくること。そしておいしく食べること。これぞ、今子どもたちに伝えたい貴重な文化の一つではないかと思います。

「やられたら、やり返す?」
'01年10月

 ある幼稚園で、いつも友だちにやられてばかりいる子どもがおかあさんに「やられてばかりいないでやり返しな!!」といわれたからやり返したと言ったという話。

 『いつもやられっぱなしの子の親の気持ちとしてはわかるけれど、“やられたから、やり返すのでは、問題は繰り返しで進展が無い”と思う。教師として、子どもたちにどう伝えたらいいのか』と悩んでいるというのです。

 この幼稚園の先生から相談を受けた方が私に「先生は“やられたら、やり返す”という事をどう思いますか?」と質問してきました。テロ事件の直後だったので、そのこととダブらせながら、私はとっさにこう答えてしまいました。

 『“やられたら、やり返す?”ブッシュ大統領でさえ、そうだから?今、子どもたちはどこを見て育つのでしょう。何にあこがれて育つのでしょう。大人社会の乱れがそのまま、反映してしまう。手のつけられないむなしささえ感じる日本や世界情勢ですね。でも、自分の身の周りの小さな場で実践するしかありません。相手はどうしてやる気になったのでしょう?必ず動機はあるはずです。友を痛い目にあわせるのはいけないこと、生命を奪うことはもっと悪い。でも、そのところだけ見て「やり返しなさい!」と教育者はいうでしょうか?やった子の心にも向き合い、やられた子の心とも向き合って、どうしたら繰り返さないようになるかをまわりの子の意見をききながら教師と一緒に考えることだと思います。この場合、やる子の動機ケースバイケースで、ワンパターンじゃない。解決策もケースバイケース。そこを見定める能力を教師は磨いていきたいと思います。』

 いかがでしょうか。みなさんはどう答えられますか?
様々なご意見をお待ちしています。

らくがき帳もしくは、yurikago@geocities.co.jpまでご意見ご感想およせください。<管理人)

「子どもの姿そのままに」
'01年09月
 

虫の声や秋風にふと心が動く9月を迎えました。子どもたちの心は運動会に少しずつ向き始めています。

 運動会に向う時期やその当日に、子どもたちはこれまでいろんな姿をみせてくれました。おとうさんからマラソンは一番にと期待されておなかが痛くなってしまった子。一番になりたい友だちを気づかって常に2番になる子。よーいドンの合図にもとなりの子と顔を見合ったまま前に進まない子。隣の子と一緒に仲よく走るのを楽しむ子。ゴールでない方向に走っていく子。リズムに合わせてかわいくおどっている先生の姿に見とれている子。何故かまんなかでひっくりかえって寝そべっていたい子。とにかく広いところをグルグル動きまわっていたい子。毎年、子どもたちは、精一杯の自分を見せてくれます。

 月令や年令毎に身体の動きがどの様に育っているのか、日頃の保育の中で遊びや散歩や生活を友だちと一緒に体験しながらどんな力が育っているのかを見ていただくのが、ゆりかごの運動会です。

 出来栄えのよさだけでなく、その日、その時々の子どもの心の動きも同時に感じとっていただきたいと思います。子どもの姿そのままにお楽しみいただければ嬉しいです。

 

「夏まつりごくろうさま」
'01年08月
 天気も上々で、大盛況だった夏まつり。実行委員のみなさんごくろうさまでした。準備から当日までご協力くださった父母の会、おやじの会のみなさん、
ありがとうございました。焼とりコーナーに新しいおやじ参加でよかった!の声もきかれます。

 今年の夏祭りは例年と違ったところが3つありました。さて、何でしょう?1つは前売券 2,500円-> 2,000円にダウン。次にたこ焼器がおニュー。(こ
れまで幌北中央保育園より借用)3つ目はビール、生しぼり300円と黒ラベル400円の対決。(2対4で黒ラベルに軍配)

 学童クラブのキャンプやその他の行事と重なって淋しい夏まつりになるのではと案じていましたが、卒園児たちがなんと70名も来てくれました。見上げる
程成長した常連たち。「夏まつりで会いましょう」が定着してきています。小学生から中学生へと育っていく卒園児たちと会えるのは嬉しいことです。

 さて、ゆりかごの夏まつりはいつ頃から始まったのでしょう?ビールパーテイーの収益金で、全国の保育合同研究集会に職員と父母の代表を送ろう。そし
て保育の動きを全国各地の経験から学ぼうとはじめたのが18年前の1983年7月でした。その3年後の1986年から近所の子供たちにも楽しんでもらおうと「夏
まつり」を計画するようになりました。子ども向けのゲーム、映画、盆おどりも好評です。

 今年は父母の会からあひる組のYちゃんのお母さん、職員会からさくらんぼ組のSせんせいが神戸で開かれる全国集会に参加されます。「これからの保育園
は?」「低コストの保育って?」「保育園の企業化?どういうこと?」不安な話がきこえてくるこの頃です。子どもたち、親たち、保育者たちが安心して過せる
保育園のすてきな保育をいっぱい学んできてほしいと思います。

 

「おやじは恐(こわ)い?」
'01年07月

 昨日のこと、スーパーの駐車場で車にいたずらをしている男の子に「◯◯!!」と、トーンの高いお母さんの声が飛んできました。その男の子は呪文のように「ゴメンネ、ゴメンネ、ゴメンネ...」を連発していますが、あまり反省の様子は見られません。この家庭では「ゴメンネ」と言うだけで許されているのでしょうか。そばにいたお父さんは知らん顔です。この様子をみていて、ついこの間のりす組(4才児)のクラス別こんだん会の話を思い出しました。


 「子どもをよく怒っているよ」というお母さんの話やあるお父さんが最近、本気で娘を怒ったという話を聞きました。近頃お父さんの本気で子供を叱る姿が少なくなってきているので、その迫力ある内容に身を乗り出して聞き入りました。その怒り方はともかくとして、「このような言動を子どもにぜったいやってもらいたくない」ということを本気で、真剣に子どもに伝えることは大事なことです。たとえ、自分の子どもでなくても。生命(いのち)にかかわること、人の心を傷つける行為など。これは人間としてやってはならないことなんだ、言ってはならないことなんだということはどんなに小さい子どもであってもその子がわかるような言葉で、態度で伝えていかねばと考えています。毎日のように、ダラダラと文句を言っていても子どもの耳に、子どもの心に届きません。

 60年も昔、私の子どもの頃、「この世の中で恐いものは地震、雷、火事、おやじ...」が相場でした。3才の時、左の腕がはずれる程、父に叱られたことを覚えています。大勢のお客さまの前でやってはならないことをしたのでしょう。でも、不思議とそのことで父をうらんだり、にくいと思ったことはないのです。「世のおやじたちよ、怒りなさい」と言っているのでなく、子どもたちに伝えていくことは何なのかを一緒に考えたいのです。

 

「聴き上手になれるかな?」
'01年06月

 時々、事務室に入ってくる子どもがいます。めずらしい、「モノ」がいっぱいあるらでしょう。別に「モノ」に興味がなくても何かをうったえたい子も来ます。何かを聴いてもらいたい目です。こう言ってるのかな?あヽ言いたいのかな?とその子の片言をこちらも真似て口に出してみるのですが、ハズレていることが多いのです。わかってもらえないもどかしさをきっと感じていることでしょう。


 大人でも、子どもでも「しゃべるのは得意」だが「人の話を聴くのは苦手」という人はたくさんいます。私もその典型で、どうしたら「聴き上手」になれるかと今、真剣に考えています。長年、子どもと向い合う仕事をしてきて、これができないという のは深刻です。子どもの声を聞いても、子どもの声にならない「おもい」を聴かない でいて、どうして子どもの育ちを感じることができるでしょう。語ることができるで しょう。恥かしい限りです。

 一人の子どもの「おもい」と「うん、うん」と聴いて、わかってあげられる友やせんせい、親やまわりの大人がそばにいたら、その子はうんと楽しい気持になれるのに。大人の「ことばの洪水」に追いまくられている子どもたちは、「おしゃべり上手」になるのか、「聴き上手」になるのか。 「聴いてもらう」ことで自分が育ち、「相手を聴く」ことで相手が育つ。「ねえね え、きいて、きいて」と子どもはきっと育ちたがっているのでしょう。

 

「たのしい食生活を考えてみませんか」
'01年05月

 ここ数年、「人とのかかわりの中で心豊かに育ち合おう」を園目標にかかげてきました。今年度は「心豊かに…」にも通じる身近な「食生活」にしぼってみました。
 「たのしい食生活を考えてみませんか」の中身は各クラスで、一年かけて、様々に深まっていくことでしょう。「食生活」と言うと、"あら、困ったな。忙しくて食生活なんて考えるどころではないよ。でも、本当は大事なのかも知れないね"と声がかえってきそうな気がします。
 子育て真最中の食事づくりは、子どもの健康なからだづくりには欠かせないとは重々わかりながら、結構、親側の心の負担になっているのも事実です。
 ―疲れて帰ってからの夕食の仕度。さて、何を食べたらいいのだろう。買物から料理まで、どうして女の仕事なんだろう。それがうちでは男の仕事だ。せっかく作ったのにうろうろ歩きまわって食べてくれない。ハムやソーセージはパクパク食べるのに、野菜はどうして食べてくれないの。添加物や農薬のかかっていない食品ってあるのかしら…。や〜、困った。うちの子はアレルギーで、あれもこれも食べられない。いったい、何を食べたらいいのか。朝起きてくれなくて、朝食べる時間もなくて…。うちの子の栄養のバランスは保育園の食事とおやつが頼みの綱。玄関先の展示食をちょっと味見してみたい。家族そろって、なごやかな食事風景なんて、夢のまた夢よ。−なんて声を思い切り、いっぱい、かっこうをつけないでどうどうと出し合うことから、「たのしい食生活」が始まるかも知れませんね。

 

「ひとりの子どもをひとりの人間として」
'01年04月

 最近,ある方から一冊の本をいただきました.
細谷亮太著「川の見える病院から」・がんとたたかう子どもたちと・岩崎書店です.
そのあとがきに「ひとりの子どもをひとりの人間としてどこまで大切にできるかが,ほんとうは一番大切なことだと思っています.」と細谷さんは書いておられます.
 意識するしないは別にして,生きるものすべての生命は限られた生命です.
宇宙でたったひとつの生命,一度きりの人生を生きる生命です.
ひとりひとりの子どもの今日を,今をひとりの人間としてつき合うことの大切さをこの本から学びました.        
 「大切にする」ということは子どもの言いなりになることでも,甘やかすことでも猫かわいがりすることでもありません.
逆に大人の思いのままにきびしくしつけることでもないと思います.
子どもと共に今をどう生きるのか,どう真剣に向い合うのか,新年度のスタートにあたって,自分にきびしく問い直したいと思っています.