ゆりかご 園だより
99年度分

 毎月はじめに発行している「ゆりかご園だより」には,コラム欄と今月の予定などの欄があります。
 その中から矢島園長が書かれているコラムを毎月掲載します。

「人を受け入れる気持ち」
'00年3月
 4月が近づくとどの保育園にしようかと迷いながらあちこちの園を見学してまわる方が多くなります。

 昨日も朝一人、夕方一人と見学に見えました。園内を案内していると1?2才の子どもは、寄ってくる子、ジーッと見つめる子、少々逃げ腰気味の子など様々です。

 2階に上がると「だれのおかーさん?」と3才児。「お客さまよ」と言うと、元気に「こんにちは」と寄ってくる子もいます。

 3階で遊んでいた6才児のぞう組さん。「だれだい?」「何しにきたの?」「よくくるな?」といった反応です。「お客様にあった時は何ていうのかな?」といくと、「こんにちわ」とボツリ。あんまり歓迎の気持ちは伝わってきません。

 子どもに限らず日本人は見知らぬ人を受け入れるのがうまくないのかと知れません。「この人は何者か?」という気持ちが先に動いてしまうのでしょうか。

 あと一ヶ月で20名の子どもたちが小学校に行きます。おそらく小学校では全校をあげて新しい一年生をやさしく受け入れるよう話し合われていることでしょう。「人を受け入れる気持ち」が身について子は「人に受け入れてもらうこと」もうまくいくように思います。

 誰かに言われたから・・・ではなくて「人を受け入れる気持ち」が自然と身についていってほしいなぁと願っています。

「26年前の基礎工事に欠陥」
'00年2月
 雪の中、大変ご不便をおかけしていますが、工事もいよいよ最終の追い込みに入っています。今回の工事で玄関・サンルーム部分の基礎工事(26年前の)のコンクリートの中に、紙袋、木くずが混ぜられていたり、鉄筋が貧弱であったりの手抜き工事であったことがわかりました。そのために追加工事を余儀なくされ費用もその分増額されることになってしまいました。

 人間同様、建物の基礎工事は大事ですね。今回の工事で大きく変わるところは、
1)道路を照らす外灯が2個つく
2)外の入り口が左側になる(内びらき)
3)玄関第2入り口までがスロープ(少し急)になる(ロードヒーティング付き)
4)玄関ドアーは頑丈になる
5)玄関がやや広くなり床は木製
6)事務室の右横に小さな相談室
7)事務室が26年ぶりに明るくなった
8)2Fのサンルームがやや広く、すてきになる
9)玄関に本棚を新設
10)何よりも玄関まりの基礎工事がしっかりできた

 2月10日頃の完成が待ち遠しいですね。

「2000年あけましておめでとうございます」
00年1月
 いよいよ2000年。20世紀がこの一年で終わります。

 20世紀はどんな時代だったのかと振り返りますと“科学技術が進歩した時代だった”と言えるような気がします。その分、失ったものも大きく、自然破壊が進み、心の問題が置き去りにされた時代だったとも言えます。人間も自然も科学技術に役に立つかどうかで評価されてきた感がします


 目に見えるものだけで価値基準が判断されがちでした。乳幼児教育の中では早く?できる、高く?できる、たくさん?できる、上手に?できる、で子どもたちは追いまくられてきたようにも感じます。

 ほんのちょっとできたことにとても満足し、まわりの人たちに喜んでもらって嬉しい気持ちになれる、楽しい気持ちになれる、そして自分にもとなりの人にも優しい気持ちになれる・・・・21世紀は子どものたちにとってそんな時代になればいいな?、これが2000年の私の初夢です。

「いいこと/いいとこ 探しをしたい
99年12月
 今朝の道新にみんなで選ぶ今年の10大ニュース欄がありました。記憶に新しいものからあげると、2才児の女の子を主婦が殺害、トンネル内のコンクリ崩落、福祉施設・役所・企業団体等の不正疑惑、神奈川県警内の犯罪、新興宗教事件、完全失業率過去最高、リストラによる自殺、地震等の自然災害などなどで、暗いニュースが続いた1999年でした。

 こうした中で、いいニュースをさがす気力や感覚が自分に失われていっていることに気がついてあわてています。いいこともいっぱいあったはずなのに暗いニュースに押されてしまっているのです。

 1999年もあと一ヶ月。家族、特に親子関係、職場や近所のみなさんとのおつき合いのなかで楽しかったな?と1年をふりかえって見たいのですが。

 私たちはつい、苦しかったこと、いやだったことを先に思い浮かべてしまいます。一人の子どもと向き合う時、その子のいいとこ探しから始めたいです。マイナス面だけ見ていると気持ちが暗くなってしまいます。マイナス面をプラスに転じるのにどうしてあげようかと考え、明日を期待すると気持ちも少し楽になり、明るくなってくるのではないでしょうか。

 暗いニュースいぱいの世紀末を明るいニュースいっぱいの世紀に変える力をそなえ、来年度かけて、21世紀を迎える準備をしたいと思います。

「友だちに こころをむける」
99年11月
 当園の開園以来の理事であり、卒園児志朗くん(開園と同時に0才児で入園)の親であり、27〜8年来の友人でもあった小出まみさんが10月25日に亡くなりました。

 3人の子どもを生み育てながらの保育研究者としての道のりは大変きびしかったと思います。けっして机上の研究ではなく保育園、学童クラブづくり、保育内容の向上をめざす活動の輪に身を投じての研究活動でした。

 ここ10年はカナダから学ぶ「子育て家庭支援のあり方」が最後の仕事でした。今月下旬にはひとなる書房から「地域から生まれる支えあいの子育て」が出版されます。なくなる10日前に執筆を終えられたばかりでした。小出さんの名寄短大児童専攻I期生の教え子の支えがあって完成できた仕事でした。

 一人で悩まないで支え合う子育てを!仲間と支え合う老後を!が彼女のテーマでした。しかし、自宅で最期を迎え、息をひきとられた小出さんの顔を眺めていると「矢島さん、この世の最期ギリギリまで、家族やまわりの人たちに支えられて生きると(ターミナルケア)こんなにも美しく逝けるのよ」と3つ目のテーマを語ってくれているようでした。

 私もあと何年生きられるかわかりませんが、小出さんが残してくれた“支え合って生きる”を胸に生きたいと願っています。

「小出まみ 出版記念会・偲ぶ会」
11月23日(勤労感謝の日)午後6時〜
札幌市北区北24条西5丁目札幌サンプラザにて
どなた様でも参加できます。

「友だちに こころをむける」
99年10月
 身体づくりを中心にした暑かった夏の活動も終わり、いよいよIII期、秋の手づくり活動が始まります。子どもたちはこの間心身共に成長しているな〜と感じます。

 運動会では3才児がよ〜いドンと走っている最中、友だちの落としたぼうしを拾ってくれ、私たちの心を暖めてくれました。

 また、つい2〜3日前に、運動会でおみやげにもらった虫かごを持って出かけるりす組の子どもたちが玄関先で楽しくおしゃべりをしていました。そんな中、「ボク、虫かご忘れてきた。」とSくん。すると横にいたTくんが「じゃー、ボクのかごを一緒につかおう」と言ってくれて、Sくんはニッコリ「うん」と嬉しそうでした。

 まだまだ自分のことだけで頭がいっぱいの幼い子どもたちが日々の保育の中で、友だちのことにも目を向ける心が少しずつ育っているのです。

 朝、玄関先で友達とを待ち、だきあって「出会い」を喜んでいる子どもたちの姿がみられます。そんな姿にまぶしさを感じる時があります。

 「友だちのことなんかどうでもいいの、さっさと早く走りなさい!!」親の大きすぎる期待に息切れしたひとりぼっちの大きな大人がいます。大きすぎる期待に応えきれず、追いつめられ、独りぼっちでキレてしまっている大きな大人がいます。

 いま、目の前の幼い子どもたちに「楽しいことも、つらいことも分かち合える友だちをつくってね。そして友だちと心をつなげていってね」と願いたい気持ちです。

**

10月1日は26才になった『ゆりかごちゃんの誕生日』子どもたちはあさからきれいにおそうじしてくれました。

「うんどう会って何だろう?」
99年9月
 あと、2週間もするとうんどう会です。子どもたちはうんどう会にどんなイメージを持つのでしょうか。
 友だちと真剣に競い合う気持ちはまだまだ育っていない子どもたちです。でも、その日はとーさん、かーさん、じーちゃん、ばーちゃんも観にくるから“がんばらねば”と内心、何となく思えるのは5〜6才児。

 運動の分野は「早い、遅い」「できる、できない」「かっこう良い、悪い」が誰の目にもはっきりわかるので子どもにとっては「遅い」「できない」が大きく心の負担になることもあるのです。以前、とーさんにマラソン一番になれと言われて、うんどう会が近くなっておなかが痛くなった子もいました。

 そこで、とーさん、かーさんにおねがいです。どうか「早く走りなさい。」とか「早く出来るように」とせかさないでいただきたいのです。

 子どもはうまくできなくてもやってみて、できた気分になる時があります。そんな時、「あら、そこまでできたんだね」「こうしてみたら」「もうちょっとだね」とはげましと工夫の言葉をかけてあげたいですね。

 ちょびっとできるようになった時にそのちょびっとを「やったね」と認めてくれる、見届けてくれる友だちや大人たちがいて、「よーし、やってみよう」の気持ちも高まっていくのでしょう。

 うんどう会当日、「ぜったいやらないよ」「恥ずかしいからやーめた」「いっぱいいる、気になるな〜」など一人一人の子どもたちは様々な心を姿にあらわしてくれます。その時々の心の動き、姿をそのまま受け入れてあげたいと思います。

 「身体を動かすってこんなに気持ちがいいんだ。楽しいんだ。」と感じ合えるうんどう会を目ざせたらいな〜と考えています。

「たったひとつの命を感じて」
99年8月
 先日、ある方からこんな話をうかがいました。

 「一週間ほど前にうちの犬が死んだんですよ。だんだんわるくなって、息絶え絶えになっていく状態の中でも生きているんだ、生きているんだな〜と感じた。」と。

 犬の死と向き合って、いっしょに息づかいをし、犬の命と自分の命を重ねて、“生きているんだ”の実感を語っておられるのを聞きながらあ〜、犬とこの方はお互いに想い合える関係だったんだな〜と感じました。そして、最近ボローニャ特別賞を受けられた菊田まりこさん作の絵本「いつでも会える」(学研)を考えていました。

 『犬のシロと女の子みき。いっしょうにいると楽しくて、うれしくて、しあわせで、シロはみきがだいすきだった。でもなぜかみきちゃんはいなくなった。さみしくて、かなしくて、ふこうでみきに会いたかった。・・・・・・・』

 小さい子どもたちに「死」の問題を考えさせてくる絵本です。

 最新兵器でまるでゲームのようにユーゴの一般市民のたくさんの命が誤爆だとして奪われました。また、ゲームのように飛行機を操縦したいとハイジャックをした男は乗客の命のことなど考えないで、自分の思いをとどけるために、機長の命をうばってしましました。

 まるでゲームのように人の命を奪っていいのか! それぞれに与えられたたったひとつの命(いのち)を・・・・・・。

 ひとり、ひとりのかけがえのない命を想い、考え、伝えていくそんな8月を過ごしたいと思っています。

「子どもがいて母親になる」
99年7月
 先日、保育園の研修に講師として来られた先生が「母親ははじめから母親ではない、子どもができて、子どもと関わっていく中で母親になっていく」というようなことを話しておられました。

 我が家に帰って、さっそく娘にその話をしました。
「あんたたちがいてくれて、かーさんは母親になれたんだって・・・」と私。すると、
「へぇ〜、母親だと思ってんの?」と30代後半の娘。

「かーさんは子育てでまだまだ苦労がたりないよ」といいたそうです。あ〜あ〜、私はいつまでもこの大きな娘とかかわってたら、母親になれるのか・・・。

 子どもは親のおもうようにならないし、つい、大きい声を出したくなる程、悩ませ、困らせてくれます。次々と親の力を試してくれているようです。1対1の子育ての中で、一人で悩み、イライラして、カッとなってつい虐待に走ってしまう親のことが、今日、大きな問題になってきています。

 当保育園には幸い90家族以上があつまっています。それだけの分の子育て問題が共有でき、子育ての力も豊かになっていけるということでしょう。家族と家族のかかわりが広がり、かかわりを深めていってもらえたらと思っています。

 そして、私たち保育者はこんなにもたくさんの子どもたちがいて、いろいろな親たちがいて下さって、初めて、保育者になっていけるのでしょう。心豊かな保育者をめざしていけるのでしょう。

「相手の心を傷つけるひと言」
99年6月
 ガンの再発を案じて、ある病院で検査をしたもらった友人の話。検査の結果はあやしいカゲは見当たらなくてよかったのですが、その時のお医者さんのひと言で頭にきたそうです。フィルムを見ながら「残念でしたね」と。

 その外科の先生からすると手術ができなくて*残念*だとホンの軽い気持ちで言われたのかも知れませんが、2年前に外国でガンの手術をした友人にとっては再発をおそれてビクビク、ドキドキしながら結果を聞いたのだと思います。先生の不用意な一言で気持ちがおさまらない程に「腹が立つ」を連発しておられました。

 私もこれまで不用意なひと言を発してから「しまった」という経験をいっぱいしています。医者と患者といった先ほどの例のように、あるひと言が立場を変えればとんでもない暴言になってしまうのだということを友人の話から学びました。

 私たちが日頃、何気なく交わしている会話の中で相手を傷つけていないでしょうか。特に子どもに向かって発している言葉の中に子どもの心を大きく傷つけている不用意なひと言がないか考えてみたいと思います。大人同士であれば「腹立つわ」「ムカッとくるわ」と言葉でかえしたり、人に伝えて心を落ち着けることもできます。幼い子ども同士の場合は言いかえすすべがわからなくて、たたいたり、ひっかいたり、かみついたりの行動に出てしまうことも多いのです。

 大人の不用意なひと言で子どもの心が傷ついた場合、表情や行動が言葉に出せなくて傷ついた気持ちを心の奥にずーっとタメ込んでいる子どもがいたら・・・。

 子どもに発する不用意なひと言に特に気をつけたいと思います。

「ダイスキ関係をこわさないで」
99年5月
 “カーサン ダイキライ”と子どもの言葉がストレートに飛びこんできます。何人もお子さんを育てておられる方は、そのような言葉をうまくかわしておられます。でも、自分の子どもであっても「ダイキライ」と言われて気持ちいい人はいません。やっぱり「ダイスキ」と言ってもらいたいですね。

 私たちが子どもから「ダイキライ」の言葉を聞いたときは「○○ちゃん、カーサンダイキライはカーサンダイスキだね」「ダイキライの反対はダーイスキ」と言ってあげます。ダイスキだから、ダイキライになるのです。

 子どもにとっておかあさん、おとうさんは大好きな存在です。クラス担任の先生もそうです。

 しかし、子どもは時には大人が困るな〜と思うことをおもしろがって何度でもくりかえしやってくれます。放っておけないことは「ダメよ」としっかり、子どもに言いきかせます。

 時にはこわい顔で、荒々しい声で。子どもの気持ちの中で、ダイスキ存在がいっぺんに「ダイキライ!」に変わってしまいます。ダイスキがダイキライに変わるのも早いけれど、また直ぐにダイスキに変わっています。

 只々、ダメよのくりかえしで本当にダイキライ関係になってしまっては大変です。大人が子どもに伝えたい「生きていく上で大事なマナー」を子どもが納得できる言葉で、根気よく、しっかりと子どもの心に届ける仕事は本当に難しいことです。小さい頃にダイスキのプラス感情をたくさん味わってもらいたいのです。ダイスキ関係を保ちながら…。

「一日一日の出会いを大切にしたい」
99年4月
 今日から新年度。新しい子どもたち22名と14家庭を迎えてのスタートです。新しい出会いの始まりです。

 子どもと子ども。子どもとせんせい。おとうさん、おかあさんとせんせい。それぞれの出会いが成長に大きな影響を与えあうこととおもいます。

 人は人の中で人間になります。人は人とのかかわりの中で言葉を獲得し、また、気持ちいいな、嬉しいな、かなしいな、さびしいない、おもしろいな、いやだな、やさしいな等、様々な心が育っていきます。

 ゆりかごの子どもたちが、気持ちいいな、嬉しいな、楽しいなの気持ちをからだでいっぱいに感じてくれるように、日々の出会いを大切にしていきたいと思っています。