【子どもも親も心から安らげる保育園】 |
田中孝彦です。僕は1995年の7月,今から3年ちょっと前に北海道大学の教育学部に教育臨床心理学という新しい講座,それは5年前ぐらいにできたのですが,そこで仕事をしないかということで移ってきました。
僕よりも1年半前に皆さん名前はご存じかもしれませんが,横湯園子さんという不登校の子どもの問題に長くつきあってきた人が着任され,その後僕が来たのです。 その講座は相談室も持っていて,不登校とか,いじめいじめられとか,心身に不安定をかかえた子どもがやって来ています。それから,そういう不安を抱えたお父さんお母さんとか,そういう子どもをどう扱っていいか悩んでいる学校の先生とかも相談に来られていて,できるだけそういう具体的な子どもや親や教師の悩みというか,ケースに即して子どもをめぐる人間関係や子育てや保育や教育の在り方を考え直していくというか,そういう研究が出来たらなあと思っています。 今日は30分ぐらいで最初の問題提起を,ということですので,30分ぐらいでいろんなことをいっぺんに言うのはむずかしいので,考えてきたことをずーとお話して,30分経ったらいってください。そこで一回終わりにして,もうちょっと続けた方がいいということであれば,続けたり,あるいは対話の中で補足すると,そういうことにしたいと思います。
口頭詩集それで,結局,5つぐらいのことをお話しようと思っていますが,ひとつめはですね,こういうことですというか,小見出しをつけずに中身の話に入ってしまいますが,僕がいろいろ日本の子どもの中に問題が起こって,それをどう考えたらいいかなあと,分からなくなったときによく相談にいく場所があるんです。それは,岐阜県の恵那という,ご存じでしょうか,藤村の「夜明け前」の馬込という,あれは長野県なんですが,そのすぐそばの岐阜寄りに恵那という地域が,そこは戦後からずっと地域に根ざした自主的な教育を作る努力を教師と住民がやっているところで,そこの先生たちが,今の子どもの問題をどう考えているかなってよく聞きに行く,そしてそこでいろんなことを教わりに行くんです。僕が物を考えるときの相談相手の教師たちが群れとなっているところなんです。 そこの保育者が,数年前にこういう『すきすきあのね,だいすき』っていう,保育園に通っている子どもたちのことばを書き留めた,幼い子どもたちの『口頭詩』っていいます。口でしゃべったのを書き留めた詩ですね。子どもは字ではまだ書けないから,大人が書き留める,保育者が書き留める,そのなかの4つほどの詩を紹介してみたいと思うんですが,全部,保育園児のしゃべった詩です。一つはこういうのがあります。ゆっくり聞いててください。
ここまで読むと仏壇のコマーシャルのような,変な詩とおもわれるが,そのあとが問題なんです。
って書いています。 この子は,実はふたり兄弟なんですけれども,お母さんに育てられていて,お父さんはその家族にはいない。ところがお母さんも辛くなっちゃって,ふたりの子どもをおいて行方をくらましちゃったんです。で,親類の家に預けられて,そこで親類のおじさんやおばさんから,
これは分かるとおもうんです。お父さんとお母さん別れちゃって,お母さんとスーパーに買い物にいったら,別れたお父さんがむこうから来ちゃった,それでお母さんに手を引かれて隠れた。だけどこの子はお父さん好きでいつだって会いたい,だけど実際には会えない。だから心の中で思うことにしているっていってるわけですね。なんか幼い子どもがここまで思うかと思うような,切なくなるような詩ですけど,こういう詩です。 それからですね,みっつ目は
もうひとつ
そういう詩です。 後で読んだふたつ,始めに読んだふたつ,離婚とか家族の離散とか相当厳しい問題にぶつかって,それでもなんか,けなげに自分に言い聞かせて生きようとしている子どもの気持ちが出ています。子どもがこんなに思うのかと思うぐらい,せつなさが伝わってきます。 後の方は,必ずしもそんなに厳しい問題に直面しているのではなく,ごく普通の家庭の子どもですけれども,たとえば,赤ちゃんかわいがる,それは僕がお母さんにかわいがって欲しいからだっていう。それからやっぱりお母さんが疲れてきて,やだなーと思うことがあって,こっち向いて欲しいから,僕が手伝ってあげるからお母さん優しくしてね,っていうふうに言っている。 この後のふたつの詩っていうのは,ごく普通の家庭の幼い子どもがいわばお母さんこっち向いてねって気遣いしてるわけ。僕も振り返ってみるとわりあいそういう子どもだったので,いつの時代だってお母さんに喜んで欲しいからなんかする。そういう気持ちは幼い子どもにあるといえばあります。 だけど,岐阜の恵那の保母さんが集めたこの口頭詩集を読んでますと,そういうのがすごく目立つんですね。 幼い子どもがこんなに親の気持ちをこっちに向けたいと気づかいしたかなというか,もっと幼い子どもは,ただ駄々こねてて良かったんじゃないかとか,地団駄踏んでわがまま言ってて良かったんじゃないかとか,空向いて泣いてて良かったんじゃないかとか。 だからなんか今の子どもはほんとに,幼い子どもも親の気持ちをこっちに向けようとして,親に不愉快になってもらいたくなくて,気づかいしている,そういう詩がいま紹介したように目立つんです。
不安感最初に特にお話したいことは,いま日本の社会のなかで,大きな変化が進行していて,個々の親が良い悪いはちょっと別にして,家庭生活の中に,ある変化が進行していて,幼い子どもたちの,こういうふうに,親がこっちを向いてくれないんじゃないかとか,向いてくれないと思っていたり,向いてくれないじゃないかと不安に思っていて,そしてそれをこっちに向けさせたいために,かなり気づかっている,そういう生活感情が幼い子どもたちの中にかなり拡がってるんじゃないかって僕は思うんです。 これは皆さん自分で子どもを育てていて,ちょっと自分たちの子どもがどうなのか,分かりにくいと思いますけれども,どうだろうなーと考えて欲しいんです。かなり,子どもたちに幼くても気づかいさせちゃってる,そういう生活にわれわれ自信が追い込まれてるんじゃないかっていうふうに僕は思うんです。 ほんとうに長い間,日本の社会をかじ取りしてきた財界のリーダーとか政界のリーダーたちは,競争こそ人間の原理だとか21世紀は大競争時代だとか言ってきたわけですね。言ってきただけじゃなくて具体的にそういう施策を取ってきて,そして庶民の私たちはその競争にのらないとやっぱり将来が心配だというので,自分でもある程度のろうとし,子どももそこから完全に落ちこぼれてしまうことが心配で,ある程度のせようとしてきたわけです。 ところが,この数年は倒れるはずがないと思っていた大きな企業も銀行も揺らいでしまうとか,それから一気に深刻化してくるとか,それから医療とか保険とか福祉とか人間の生活の基本を支えて,それはわれわれが払った税金で,公的に保障されてしかるべきだと思ってたものが,それも商品化されてきて,それは自分でお金を出して買うものだというような,いわば医療や福祉や老後の保障というんですか,それまでが商品化してきてて,揺らいできてる。 だから,どうも競争にのらなければもちろん不安だけれども,のってある程度の所までいってでもですね,それでも安心できる生活が待ってるわけではない,のらなくても不安だけど,のっても不安だというか,そういう生活感覚が大人の中にも広がってきていて,そしてやっぱりいろんなゆとりのなさが大人の生活の中に広がってきていて,それが子どもに移っているというか,ほんとうに自分の方を向いてくれてるんだろうか,大事なときにしっかりと向いて欲しいときにしっかりと向いてくれるんだろうかという不安が,幼い子どもたちのなかにもたまってきている。そういうことじゃないかなあというふうに僕は思っています。 最初にお話してみたいと思ったことはそのことです。 みなさんは,そういうふうに自分たちの状態と子どもたちの状態をとらえるって事についてどう思われるか。いやそうじゃないと思われればそれでいいんですけれど。考えて欲しいと思うんです。 もし,僕のいうような生活感情,ほんとうに大人たちがですね,自分の方を向いてくれてないんじゃないかとか,向いて欲しいときに向いてくれないんじゃないかというような不安感を子どもたちは持って,気づかっているってことが今の日本の子どもたちのかなり広く言える状態だとしたら。
子育てで大事にすることそうだとしたら,ということで話を進めたいと思いますが,ふたつめに僕が言いたいことは,今,大人たちが,特に親が,子どもに対してやらなきゃ行けないって事はもちろんいろいろありますけれども,まずね,そういう子どもたちの姿をよく見て,そして子どもの言い分をよく聞いてみるというんでしょうか,非常に単純なことですけれども,育とうとしている子どもの姿をよく見て,そしてその子どもの言い分を良く聞くということを,何よりも大事にしないといけないんじゃないか,むずかしいいろんなことはさておき,非常に単純な今言ったことを大事にしないといけないんじゃないかと思うんです。それが二番目のことです。 今,子どもたちを育てていく上で大事なことはそんな難しい事じゃなくて育とうとしてる子どもの姿をよく見て,子どもの言い分を良く聞くことだ,っていうふうに僕は思う,ということです。そして,ほんとうに子どもの姿をよく見てて,子どもの言い分を聞いてさえすれば,子どもは何を喜んでて,なにを悲しんでるかってだいたい分かってくることであって,そして,子どもを育てていく上でなにを大事にしなけりゃいけないのかってことは,そんな難しい勉強しなくったって,だいたい見当のつくことだっていうふうに思います。そこさえちゃんとしてれば大きな間違いはないっていうんでしょうか,というふうに思うんです。そこをいいかげんにしておいてあっちからもこっちからもいろんな情報を得てきて,いろいろ親が動きだすとろくなことはないんじゃないかなと思うんです。 そのことを僕は,さっき紹介していただきましたが,僕自身が共働きの親として4人子どもを育ててきたので,たとえばそれは,こういうことなんだと思ってるってことを具体的な例でお話をしてみたいと思いますが,いまもう高校1年生になっちゃった,憎たらしくなってしまった僕の一番下の息子がいるんですが,その子が保育園の4歳児のクラスにいたときにこういうことがありました。 ちょうど梅雨で雨が続いて,その間の晴れ間がやってきたときに保育園の先生が久しぶりに晴れた,北海道ではあまりそういうことはないから,具体的にイメージできないかもしれませんね,東京でしたから。 近くの公園にね,子どもたちを連れていってくださったんです,うちの子どもはすごく喜んで公園にあった滑り台をずーと滑り下りたわけなんです。そうしたら,雨が降った直後なので,滑り台の下の所にくぼみが,そこに水がたまってたので,そこにジャボンとはいったんです。それでズボンもパンツも濡れてしまったっていう。で,保母さんがそういうこともあるだろうって予測して,着替えをちゃんともってってくださったんで,うちの子をちょっとおいでっていって,椿の木の陰に連れてって,そこでパンツもズボンも代えてくださったんです。 ところがね,その保母さんの話によるとそこから元気がなくなっちゃって,保育園に帰ってご飯になっても元気がなかったし,お昼寝して,お昼寝終わっても元気がなかった,なんか変だったっていうことをその日の連絡帳に書いてくださいました。 僕はその夜遅かったので,まず妻がそれを読んでいろいろどうしたの?ってご飯を食べながら息子と話をしてみて,話しているうちにふっと思いついてマーちゃん,まさと,マーちゃんと呼ばれてたんですが,いま,マーちゃんと言うとすごく怒るんですけれども, 僕は,保育園から知らされてきた子どもの姿や母親との会話とか,そして,次の日の連絡帳なんかを読みながら面白いなーって思ったんです。ほんとうに,4歳過ぎぐらいになると,男の子女の子っていう意識がはっきり出てきて,それがある種のプライドになって,男なのに女扱いされるとか,女の子のなんかをはかされるとか,いうことがすごい誇りを傷つけられることなんだなということに気づいて,あーほんとうにこの時期に,俺は男だ女だって意識がはっきり出てきて,それがある種の自尊心になったりすることがあるなーってことを改めて気づかされて,それをどう受けとめて,どうやってふくらませていくことが,この子たちを人間として大事にすることになるのかなーってことを改めてほんとうに考えてみないといけないなと,そういうやりとりから考えたことがありました。 で,そういうのをどうふくらましたらいいかということは,あんまり子どもの発達の本とかね,保育や育児の理論書にはそんなに書いてあることじゃないんだけど,実際子どもを見てると,あっ,これが大事なんだなということに気づかされる,たとえばそういうことです。 もうひとつ例をあげとくと,こういうことがあったんです。梅雨が明けた7月ぐらいにね,朝,保育園に来るときに僕がいろんな用意をしていて,子どもは用意し終わっちゃったんで家の外へ出て道で遊んでた,そしてボリボリ手をかきながら帰ってきたんです。お父さん蚊に刺されたっていうんですね。ちょっと見せてみろといったらたしかに蚊に刺されて,プクーとふくらんでるんです,で,それでですね,僕に息子が, 息子はたぶんそれを思い出しているんだなって,毒が入ったら死ぬ,どうして蚊に刺されたら毒が入るのに死なないのかって思ったんでしょう,それで,毒が入ったら死なないのってすぐたたみかけてきたわけです。それで,僕は困っちゃって,でまかせに, そういう子どもの姿をみてて,幼い子どもが生きてて出会うバラバラの出来事ですね。それを関連づけていく,考えていく最初の考える営みの形が,こういうふうに“対(つい)”にして関連づけていく,ようするに蚊の毒は軽いから脹れるだけ,キングコブラの毒は重いから死ぬ。 実はこれはね,人間の発達を深く研究したワロンという人が,子どもの最初の思考の形態は“対の思考”だって言ってるのがあるんです。『児童による思考の起源』,上中下三冊,ものすごいタイトルで訳がものすごく悪いので,くれぐれも読んでみようと思わないでください。こんな物は読んでも全然解らないです。 そんなものは読まなくったってですね,今のような子どもの姿をみてると,あーそうかって子どもが生きててバラバラに出会う出来事を関係づけていくって事が,考えるって事の始まりだとしたら,その考えるって最初の形の一つは,軽い重いとか,あるないとか,大きい小さいとか,こういう対で考えていくことなんだなー,だからこの年齢の子どもの考える力を育てていくってことは,なんかそういうことと無関係に字を覚えさせるとかね,なんかの操作を覚えさせるって事じゃなくて,こういうふうに世の中の出来事を関係づけることを励ましていくことなんだなーって,対の思考をどんどんおもしろいなーって大人が思いながら,それを励ましていくって,そういうことなんだなーって考えさせられたことがあります。 たとえばこういうふうに子どもをみているだけでも,子どもの中に起こっていることがどういうことで,子どもにとって大事なことはどういうことで,子育てしていく上で大事なことはどういうことかって分かってくるように僕は思ったわけです。 それからもうひとつついでに紹介しておきますと,これはまあ,もうちょっと,むしろ大人が教わるということですが,その4歳児の年度の終わりぐらい,3月でしたけれども,今でも覚えています。3月6日にむすこが保育園から帰ってきて突然ですね, そしたらその日の夜の返ってきた連絡帳に園長先生から長〜い説明が返ってきた。それはどういうことかっていうと,3月6日はその園のお誕生会でホールに集まってみんなでお昼ご飯を食べた,そのときにいろいろ残す子どもがいっぱいいたっていうんです。それで園長先生はいいか悪いか分かんなかったけど,つい言いたくなっちゃってというので,こういう話をしたんです。 そうことをしたって連絡帳に書いてありました。4歳の息子は,いろんな話があったんだけど,印象に残ったのは,園長先生の家に爆弾が落ちたというとこだけだったんです。うちに帰ってそういう話をしたということだった。そういうやりとりで園長先生から更にですね,そういうことが子どもの印象に残るならば,もうちょっとちゃんと話をしないといけないかなあといって,ほんとに3月10日にはもうちょっとていねいに3月10日の東京大空襲っていうのはどういうことだったかという話をされて,もうちょっと系統的に僕の子どもの印象に残って,家に帰ってきてからね,先生が4歳の時に爆弾が落ちてきてお父さんと離ればなれになっちゃったんだって,とかいうふうにもうちょっと分かるように話をしてくれました。 その息子は僕たちに 僕は子どもたちの姿をよく見て言い分をよく聞く。聞きさえすれば,かなりのことはだいたい分かるっていったのは例えばこういうことなんです。 そのーなんか保育園で,着替えさせてもらった後元気がなかった,そういう話がきたら,それはなんだろうなーと思って子どもに聞いてみたり,考えてみたりすると,そこに芽生えてる大事な男だって意識があった。 それから,たとえば,蚊に刺されてふくれる,そんなちっちゃいことからどんどんたたみ込んできいてくる質問が,これはなんだろうなーって考えていくと,子どもが考えていくっていう最初の大事な形のひとつだなーって気づいたり,それから爆弾が落ちたって話からは,あーこんな事を考えてるんだと分かってきたんですね,ただそういうことです。 そういうふうに子どものいうこととか,やることでおもしろいなとか,おかしいなとか不思議だなとか分からないなとか心配だなとかそういうことに関心を持って親のほうが反すうしていきさえすれば,子どもが心の中で感じてることが分かってきて,そして子育てで大事にしなけりゃいけないことがわかってくるんじゃないかなって,そんなふうに思います。 それが今日お話したいと思ったふたつ目のことです。
共育てみっつめに行きますが,ただですね,そういうことはなんか閉ざされたうちの親子の関係だけでやろうとすると,長続きしなかったりするものですね。僕自身が,今の話もだいたい保育園の連絡帳に書いてあったり,保母さんが教えてくれたり,それから家であったことを保母さんに知らせたいなって思ったりするっていうか,保育者と親とが,子どものことを伝え合うというのでしょうか,そういう中で続けていけることのように思う。 たしかに当たり前のことなんだけど,親だけでずーとこういうことをやっていこうとしたら,これは忙しさに紛れたり,なんかいらいらしたりすることがあるともうできなくなっちゃったりっていうことだと思うんですが,僕がわりあいそういうことをやってきたというのは,保育園の保母さんとのやりとりがあったので,そういうことを続けて来られたように思います。 それで,みっつめに言いたいことは,子どもの具体的な姿を,親と保育者が伝え合っていくということが,当たり前のことのようで,ほんとうに子どもを育てていく上で大事な事じゃないかっていうことなんです。 どんなに高い理念を掲げてここの保育園は親と保育者が,子どもをどもを共育てしていくところですって言ってみたって,一番根っこの所に普段の子どもの姿を可愛いなあとか,おもしろいなあとか,不思議だなあとか,心配だなあということを親と保育者で伝え合っていくってことがないとその共育て論とは,かけ声だけで終わっちゃって,親と保育者は一生懸命共育てしているつもりかもしれないけど,それは子どもの成長の栄養に全然なってないとか,そういうことが,起こることだと思うんです。 このことについても具体的に,僕の子どもであったことをお話したいと思いますが,それはもう今21歳になって,3浪目に入ってる,僕の3人目の娘のことであったことです。この子が今年の3月にまた自分が行きたいと思っている大学に落ちて,ちょっと弱っちゃって,気分転換にしばらくお父さんのとこいって過ごしてみるていうんで,4月から7月半ばまで,札幌に来てたんです。少し元気を取り戻してまた戻ってますが,その子の2歳半頃のことです。 ちょうど家が引っ越しちゃったために,保育園から遠くなったんですけれども,近くの保育園に移れないというので,僕が子どもを30分ぐらい自転車に乗せて保育園に通う,そういうことをやってたとき,ちょうどその保育園の途中に舗装されてたんですけれども,水道工事かガス工事をやんなきゃいけないっていうんで,穴掘らなきゃいけない,掘り返さなきゃいけない,それでつるはしが引っかかるために,ドリルで穴をあけてあったんです。そこの穴が当時はやっていたモグラたたきゲームの穴に似てたんで,娘はそこを通るたびに そういう話をしながら,ある日保育園の玄関についたら,担任の保母さんが待っててくださって,子どもを迎えるために保育園の入り口に立っておられて,子どもを降ろしてやったら,トトトトッとその子が,保母さんの姿が見えたので保母さんのとこへ駆けてって,嬉しそうにですね,顔はみえなくて,僕が後ろからみてたので, ところが,そういわれて,一瞬だったんだけれども,保母さんの表情にキッとした表情が浮かんだんです。それはたぶん私の顔がモグラに似てるっていうふうに言ったに違いないと思われたんですね。一瞬だったけどキッとした表情が浮かんだ,その表情を見て子どもがワーッと泣いたんです。 朝忙しいから何で泣いてるかそんなことあんまり今のように説明できないから,お願いしますっていって,僕は仕事へいっちゃって,その夜どうしてあの子が泣いたか,こういう経緯があって泣いたっていうふうに連絡帳に書いたんです。 そしたら次の日の連絡帳に長い文章が保母さんから返ってきたんですよ。 「でも,この出来事があって,そういうふうなお父さんからの説明をきいて,保育者の私にも問題があったなーというふうに思った。それはどういう問題かというと,この子は,たとえばお父さんとはちょっと話すと,どんどんどんどんおもしろい世界が広がる,そういう内面の世界を,おもしろい世界を持ってる,だけど,それをそのまま周りの子に伝えようとしたって2歳半ぐらいの子どもにそのおもしろさが伝わって,『わーおもしろいおもしろい』って広がるわけじゃないわけですよね。それで立ち往生してたんだなーって言うことがわかって,保育者の役割ってのは,この子がなかなか他の子と,ある世界を共有できないでいたら,この子が問題の子だって決めつけたり,お父さんが問題だって決めつけるのではなくて,その子の持っているおもしろい世界を他のこと共有できるように,伝えることを支えてやるって言うんでしょうか,手伝ってやるってことをしなきゃいけなかったのに,それが十分出来ないで,この子はなかなかなじめないでいたのに,この子に問題があるとか,お父さんに問題があるっていうふうに思っていた。そこが,保育者としてまずかった。お父さんにも問題はあると思うが。」 この保育者,なかなか根性のある保育者で,お父さんに問題があるって事,なかなか引っ込めないですよね,そういわれれば問題があるかなとも思うんですけど。 「けれども保育者としての私にも問題があるというふうに思って,やっぱりこういうやりとりをして良かった」 僕もそれを見て,ほんとうにそうだなーって思って,僕ら夫婦のその保育者に対する信頼感ていうのは,そのことがあってからいっぺんに深まって,それがあると,ほんとうに不思議なことなんだけど,その先生を媒介にして,うちのなかなかなじめないでいた,その子が,短期間に,急にその保育園になじんでいくというふうになったんですね。 やっぱりだから,そんなこと説明しないで済まそうとおもったら済んだこと,済んでしまったことだと思います。そしてそのことで保育者といろんな話し合いが起こらなくて済んだことだと思うんですが,やっぱりあの子が,ある保育者のちょっとした仕草に触れて,ワーッと泣いちゃったというようなことは,親としてちょっと説明しておきたいなっていうふうに思ったので,説明したことが結果としてすごく良かったってんでしょうか,そういう経験があるんです。 ですから,むずかしいことじゃなくて,ほんとに親として子どもがこんな可愛いことをしたとかね,すごく心配なことをしたとか,心配だったけど,安心につながるようなこういう変化が起こったとか,親ばかかもしれないけど,これはぜひ保育者に伝えたいとか,そういう伝えあいが,すごく大事なんだっていうふうに,思うんです。 園での姿は一週間まとめて伝えるから大丈夫だとか,一ヶ月に一回保育者との保護者会やってるから大丈夫だとか,そんなことじゃないと思うんですね。 たとえば,今のように,この子がそこで泣いたって言うのは,その日のうちに伝えあって,そしてそれが何を意味して,親と保育者でどういうふうに考えていったらいいのかなーっていうふうにやっていく,そういうことの積み重ねが子どもを育てていくんだっていうふうに思います。 ですから,どんなに親が忙しくても保育者が忙しくてもやっぱり日々の子どもの姿はできるだけ伝え合うって言うんでしょうか,そのことが,大事なんだって言うことをお話しておきたいと思います。 これが,お話したいと思った3番目のことです。
言葉にならない感情の世界そして,もう時間がなくなってきてると思いますので,ほんとうは4番目には,じつは僕,今話していることは,幼い子どもたちって言うのは,自分の内面で感じていることとかを,言葉に出すっていうことはすごく難しいことなんで,保育園に通っているような幼い子どもを育てていくときには,子どもが言葉で言うことを理解しているだけではダメなんで,言葉にならない感情の世界って言うか,それを察知する力を親や保育者がつけていくってことが,ものすごく大事なことなんだっていうことになっていくんですが,これはちょっと理屈にもなるんで,一回目の話からはとっておいて,もし,その話をしろっていうふうに,やりとりの中でなれば,そこで追加したいと思います。
青年期の揺れ動き最初の話の最後って言うか,ちょっと今までとはがらっとトーンが変わるかもしれませんが,こういう話をしてみたいと思います。 これは,今年あった「全国母親大会」,富山であった話,そこでも僕,話をさせられて,そのとき一つの事例として話したことなんですが,実はですね,去年の春に,東京を中心に「非行と向きあう親たちの会」っていう会が出来ました。その発足のシンポジウムが東京で開かれて,そのシンポジストの一人で非行の娘を抱えて長く苦しんできたお母さんが発言をなさったんです。その発言をちょっと紹介してみたいと思うんですが,こういうことを言われてるんですね。
あのーほんとに子どもがいろんな条件が重なって不安定になったときには,まともな言葉が入らなくなるってことだってあるんですねよ,この子が非行で荒れていたときはそういう状態だった。
これ,わかるでしょうか,暴走族の子どもたちなんかと会って帰ってくると,そういう雰囲気を身体中張り付けて家に帰ってくるわけなんですよ。
幼い頃ですね,
もう,普通の言葉が通用しないぐらいいらだち,緊張し,攻撃的になってる子どもに,なんにも言わないでお父さんがドライブに行こうって,夜遅く返ってきた子をまたドライブに連れ出すわけです。そういうことを表面的だけとってるとなんていう親だと,非人間的な行動をしている子どもを,しかりもせずにまたドライブに連れ出すような甘い親だから,というふうな意見もあると思いますけれども,このお父さんは連れていく,連れていくドライブのプロセスはなんにも話さないんだけど,返ってくるとちょっと目がさがってる,そういうことがあったんだ。そういう深夜のドライブに連れていくっていうような事だけが,この子とのつながりのルートであったということもあった。そういうふうに語っておられます。 保育園で,もっと大きいお子さんをお持ちで,もしそういう経験をしたことが,そういう子どもを持ったことがある方がここにおられたら,分かるんじゃないかと思いますが,こういう話,僕,わりにほんとうに困った子を持った親とか教師から聞くんですね。 ことばが通じなくなったときに,車に乗せて連れ出す,それは子どもにとってみれば,親の運転する車に乗るっていうことは,すごい限られた空間と時間だけど,自分のある安全を親にゆだねてしまうって言うことなんですね。緊張しきって突っ張ってる子がそうやってほんのつかの間安らぐ。そういう意味のある事だと思います。 子どもにとってそういう意味があるんだろうなって,だんだんお父さんやお母さんは察知して,それだったら言葉は通じないけども,子どもとのつながりを続ける一つの行為として大事にしようってふうに,こういうふうに探り当てていったわけです。 それからね,同じ頃,子の娘はお母さんには,深夜の読み聞かせっていうのを要求したそうです。このお母さんはこう語っておられますが,
っていって,夜中に帰ってきて,お母さんに「本読め」とか「くそばばあ,本読め」とか言うわけですよ。そしてしょうがないなと思いながらこのお母さんは読んで聞かす,ちょっと読んだらすぐ寝たんでしょうかね。なかなかしたたかなお母さんで,その読み聞かせのなかに『宮本百合子』の本まで読んじゃったっていう,そういう点ではすごいおかしいお母さんですけど,そういうようなこともやってた。 いま,お話したいことは,その先なんですが,こういう子どもがですね,非常に荒れてて,状態から,そこから抜け出していく一つのきっかけになったものが,保育園の実習だったっていうふうにこのお母さんは語っておられるんです。ちょっと読んでみます。
この子の出身の保育園ではないんです。このお母さんの知り合いの先生の保育園です。
っていうふうに,言っておられます。ようするに,この子は保育園にいって,保育園に2年間通い続けて保母さんの手伝いみたいことをしていたわけなんです。その中で,お母さん自身がいわれてるんですけれども,突っ張ったり,虚勢を張ったりする必要のない幼い子どもとの付き合いの中で,この子は安らいでいった,それからそういう幼い子どもたちを,一人ひとりの成長を,親や保育者たちが見守ってる,無条件に喜んでいるっていうか,そういう姿をみて,ひょっとしたら自分も幼いときに,そういうふうに扱われたのかなーっていうふうに,たぶん思ったんでしょう。 そういうことが,この子が今,厳しい青年期の揺れ動きに向き合っていく,たぶん一つの力になったんじゃないかなと思いますけれども,2年間通い続けてそれが,この子が非常に不安定な状態から抜け出していく一つのきっかけになったっていうふうに言われています。
保育園という場所僕の最後に言いたいことはこういうことであって,保育園に働いている保母さんとか,保育園に預けているお母さん,お父さんたちはそこに通っている子どもにとってだけ,保育園が,その子との関係だけでしか保育園の意味ってたぶんあんまり考えることないと思うんですが,今こういう話をひとりの教育研究者としてかなり良く聞くんです。 これは珍しい例ではないんです。例えばね,この1月にさっき言った恵那の教師たちの研究会に行ったんですが,そこでね,こういう話を聞きました。 突っ張ってもどうしようもない中学生を地域の保育園に入れちゃったっていうか,先生がもう困り果てて,やったんですよ。そうしたら,そこへ行った妙な格好をした突っ張り兄ちゃんがいくでしょ,そうすると幼い子どもたちが,おもしろいし珍しいので,「お兄ちゃんお兄ちゃん」って追っかけ回して,「遊んでくれ遊んでくれ」っていうわけですね。そういうのを一週間ほどやってたら,こんなにあてにされたことはないっていって,その突っ張りが中学校に来てですね,先生に それから,大阪の堺の,大阪のはずれの方に,僕にわりあいいろんなことを教えてくれている『アトム共同保育所』ってのがあるんですが,そこの保育園の園長さんの話を聞いているとね,突っ張ってどうしようもない娘を最初はアルバイトで保育者として入れたっていうんです。それはもう周りの保育者のいろんな反対を押し切って,園長が思いきって入れちゃったんです。どうなるかなと思って最初はいろんな問題が起こったらしいんだけど,だんだんだんすごい味のある保育者になっていったっていうんです。 なかなかこう集団になじめなくて後ずさりしてる子とかね,そこからはみ出しちゃって暴れている子なんかを実にうまく扱う保育者になって,今は正規の保育者になってる,そういう話を聞きますね。突っ張り姉ちゃんが,人間的に成長していく場所として保育所が機能したというか,そういう話をすごく聞くんです。 で,すこし皆さんに大きくとらえてほしいと思うんですが,最初にいったように,出来るだけ子どもをよく見て,子どもの言い分を聞き取って,それを親と保育者でていねいに交流しあっていくっていうか,そうことをやってる保育園という場所がね,いろんな欠陥はあるかもしれないし,そこだけ見てるといらだちもあるかもしれないけど,今の日本の社会で大きく見ると,こんなにですね,一人ひとりの子どもが,人間としての成長を刻んだときに,無条件に喜び合うような雰囲気がある社会的施設っていうのは,いま珍しいんです。 学校へ行けばもっと,保育園もそれと無縁ではないけれど,学校へ行けばもっとやっぱりストレートに競争原理が貫いてきて,それで子どもが傷つけられていくっていうことが,僕はそうじゃない学校を作りたいと思ってますけれども,現実はそうなわけですね。 保育園もそういう動きと無縁ではないけれども,比べてみるとそういう原理が浸透してきているのはくい止めていて,一人ひとりの子どもの成長を多少遅かろうが早かろうが,器用であろうが不器用であろうが,立てば喜ぶ,自分でご飯を食べたら喜ぶ,なんか絵が描けるようになったら喜ぶ,っていうふうに一つ一つ喜びあってる,そうじゃなかったら大変なんですけれども,そういう雰囲気がやっぱり,相対的には保育園には残ってる所なんですね,だからこそ,実は思春期で,いや青年期になって不安定になってる子どもがそれに触れたときに,支えになるっていうか,そういう役割を持ってるんだと思います。 今,青年期の子どもたちが,揺れながら模索しているときの一つの根拠地に保育園をするっていうんでしょうか,そういうこと,ほんとにたくさん起こっているわけなんです。 僕の実は2番目の息子も,思春期にものすごい不安定になって,そのどん底にあったときに,横から心配しながら見てたら,じーっと保育園の卒園アルバムを眺めているってことがありました。たぶんそれはこんなふうに自分も大勢の大人に幼い頃,成長の節を刻んだ時に無条件に喜ぶことがあったんだなーってことを,それを見ながら確認してるって言うんでしょうか,それを確認することが,思春期の苦しい自立模索のなんかの力になるんじゃないかなーと思います。 ですから皆さんが今この保育園で一人ひとりの子どもの成長をていねいに見守りあっていく関係をなくさずに大事にしていってるってことは,思いのほか大事な,大きな意味があることで,それに触れて幼い子どもじゃない人間までもが,人間の原点とはなんなのかとか,育つと言うことの原点とはなんなのかということを知らされてるってことが,今,日本中で起こっている,そういう意味があるっていうことをよく改めて知って欲しいなというか,そういうふうに思います。 ひとまずこれで終わりにします。 文責:ゆりかご保育園「父母の会」 |
学習会担当
どうもありがとうございました。
それでは,話の中で先生に質問意見などがございましたら,手を挙げてください。