ゆりかご保育園開園 30 周年記念「学習会」

【子どもも親も心から安らげる保育園】

先生との対話

学習会担当(B)
 
今,先生からもお話ありましたが,私たちも子どもを育てていく中で,子どもに無理に気を使わせているとかなど,お話ししていただいた点が何点かありましたけど,そういったところで,共感できるところとか,質問じゃなくてもかまいませんので,何かありましたらお願いしたいのですが。


母(A)
 先生のお話は,初めてじゃないんですよ。

先生
 はい。

母(A)
 モグラの話も前回聞いて,今回もとっても楽しく聞かせていただきました。

 実は私も保母なんですけど,頭では子どもの姿を見て聞いてというのが分かっているんですが,1日24時間しかなくて,働いているっていうことで,疲れているのかなーやっぱり怒りっぽくなっているところもあるんです。

 この間,署名の学習会にも出ていたんですけど,市場原理のところで商品化が保育園のほうにも迫ってきて,これは子どもが危ないって正直に思っていたんですけど,今日の話を聞いていて,子どもを危なくしているのはもしかしたら私のほうかもしれないと思いました。

 なるべくゆっくり話を,片手間じゃなくゆっくり話を聞いてても,時間に追われるとついつい私も怒ってしまって,怒った中でその話が終わった後に普通に話していると,「かあさんやっと笑ったね」と言われたことがあるんです。

 そういう言葉にぐさっと来たり,自分の子どもに「○○先生」と呼ばれたとき,そういうときにすごい複雑な気持ちになったことを思い出しました。

 考え直すというのじゃないですけど,肝に銘じて帰ってから子どもと向き合いたいと思います。

先生
 それは,やっぱりそうさせない社会の大きな力が働いているから,ひとりで頑張り続けるというのは非常に難しいんじゃないでしょうか。だからこそ,できるだけみんなで子どもの姿を交流し合うっていうことが必要なんじゃないのかなー。

母(A)
 寝顔を見たときに悪かったなーって思って,ひとこと呑むって言うのがすごく大変なんだけど,非常に重要性があるんだなといつも思うんですけど,やっちゃってから思い出して,そこらへんももうちょっとぐっと呑むのを早くしたらいいのかななんて思ったりしたんですけれど。


学習会担当
 他の方はどうでしょうか

母(B)
 感想なんですけど,子どもの話を良く聞いているかなと考えると,ワーッと頭を抱えたくなるぐらいに「忙しいから後でね」と言うときも多くてちょっと辛いものがあるのですけれど。

 保育園に来てるということは,世間的には評判が悪くて「保育園に行っているんです」っていったら,「カワイソウ」といわれたりして。

 旦那の親の方もあんまり快く思っていなかったみたいなんですけど,たまたまなんか知らない歌とか歌いはじめると,たまたま,親の近所に年齢の近い子たちがいたんですけど,その子たちよりちょっと社会性があると見たせいなのか「こんなこともできるのー!」「保育園にいってる子ってすごいねー!」とか急に言い出して。私も子育てしてるんですけどって感じになっちゃったんですけど。

 知らない人たちってけっこうすごい悪いイメージを持っていると思うんですよね。

 私たちにとっては正直な話しありがたいんですよ。仕事っていうものと子育てっていうものを完全に切り替えが出来て,24時間一緒にいるときよりも絶対気持ちに余裕があって,肉体的には大変かもしれないけど子どもの話を聞く余裕っていうものは逆にあると思うんですよね。

 気づかないところも気づいてくれるし,こっちが気づいたところはノートとかに書いたり話をしたりして伝えることもできるっていうことで,いろんな目でいろんな方向から一人の子どもを見て,いい点も悪い点も見える。とくに親って悪い点の方を見がちだけれども,いい点を発掘してくれるっていう点ではすごくこの保育園で助けられています。

 そういうところをですね,特に保育者と一緒にやっていく。それに保育園で見ていると自分の子どもだけじゃなくて同じクラスの子どもが成長していくのも見えてすごく楽しいんですよ。

 親としての楽しみ以外に近所の子を見ているみたいな,いろんな子を見ていく楽しさっていうのを保育園に来させてもらって教えてもらって親としてもすごく楽しいなーというのがあるんです。

 そういうあたりを保育園の親と保育者だけで共有しないで,いろんなところで共有したいと思うんだけれど,なかなかそういう話しにならないんで,ぜひそういうところも広めていただきたいなといったら変ですけども,

先生
 だれがやるの?それを(笑)

母(B)
 みんなで(笑),

先生
 そうですか(笑)

母(B)
 世間に対して広めていきたいなー,先生にもお願いしたいなー(笑)
そんなふうな考えを持ちました。


母(C)
 今日のお話を聞いて,とてもそうだなーと改めて思うところが多かったのですが,保育園に預けている親はほとんど共働きですよね。うちは父親がいないものですから,私と子どもだけの生活なんですけど,急いでもっと早く起きれば済む問題なんですけど,時間があればあるだけのんびりしちゃって結局最後には焦りますよね
すると,とくにうちの子はご飯食べててもすぐこっちに気を取られる,あっ,これはこうだねといちいち言う。

 私も急いでいるから,「あーそうだねそうだね」,「わかった,いいから食べてちょうだい」とすぐ中断してしまうというところがあって,今はまだ子どもが一生懸命話してくれてるから,それでも話してくれてるからいいけど,この先,子どもも「お母さんにいってもわかってくれないからいいや」ってなっちゃったらどうしよう,と思いながらも毎日,とくに朝は急げ急げばっかりでゆっくりする暇がないなーっていう気がします。

 もうちょっとゆとりっていうか,いそがしい時間を持っているには変わりはないんだけど,もっと気持ちの上でも余裕を持っていけたらなーと今日のお話を聞いていると特にそう思いました。


母(D)
 私の住んでいる地区は専業主婦の方が多くて,同年代のお子さんがたくさんいるんですけど,たぶん保育園に通っているのは私の所だけなんですね。

 よく,おじいちゃんおばあちゃんなんかからも「幼稚園には行かないのかい」とかそういうふうに聞かれて,私自身も幼稚園に通ったことがないし,子どもも通ったことがなくて,幼稚園っていうものがよく分からないんですけれど,どっかでこう幼稚園と保育園って何が違うのかとか,やっぱり幼稚園の方がいいのかしらとか,ちゃんと調べもしないんですが,どっかに頭の隅にこだわりがあり,3歳過ぎるとお隣の子は幼稚園に行くし,うちの子は保育園にいってるし。

 先生のお話の中でも保育園の話がありましたが,保育園と幼稚園というのは基本的に何か違うものなのでしょうか。管轄の違いもありますが,子どもを育てるという点でなにか違いがあるのでしょうか。

先生
 違うと思っておられますか。どういうふうに感じておられますか。

母(D)
 イメージとしてですが,幼稚園というと小学校の前段階というか,教育のなんていうか・・・。保育園というと子どもを育てていくのを共有する。教育という観点が自分の中にはあまりないんです。

先生
 それで,今そういう問いを出されるのは迷いがあるのですか。自分のお子さんをどうしたらいいのかなーという迷いですか。

母(D)
 いえ,ここの保育園を卒園させたいと思っているのですが,そういう意味では迷いはないのですが,なにかすっきりしないものが。(笑)

先生
(笑)それですごくよくわかったけど。

 それはかなり議論ありますか,皆さんの中に。

 社会的にはありますね。ここの保育園のお母さんたちお父さんたちは比較的ないかもしれないけど,社会的にはありますよね。今でも相当あるよね。

 たとえば僕の子どもが保育園に通ってたときだって,すごく楽しそうに親と保育者と子どもで運動会やってるとするでしょ。するとその塀の外から地域のお母さんが幼い子どもを一人おんぶしてね,一人手をつないでね,何人かそういう人が見てるわけで,それで,ちょろちょろしてるとバーンと殴ったりしているわけね,それで「あーカワイソウにね」とかいうふうに保育園のことをいいながら見てるわけ。客観的に見るとどっちがカワイソウなのかということだけれども,やっぱりそういうことがほんとにあるんですよ。相当早くから保育園が開けた東京のど真ん中でもそういう意識はそうとうあることはありますね。

 それが伝統的にあるのと,それはあれかなー古いある種の貧困層の,いわば救貧施設的なカワイソウな子というイメージっていうかなー,それが完全に崩れないできている,社会的には崩されないできているっていう面と,もう一方で,だからある種の競争が低年齢化してきてて,小学校入ったときに落ちこぼれないためには読み書き算の訓練なんかもすでにやる幼稚園の方がいいんじゃないかという,新しい現代の競争の構造の中で幼稚園のほうが良いかもしれないという意識が生産されているというのとたぶんセットになってあるんじゃないかなー。

 だけどどうですかねー,ぼくもずーとたくさん幼稚園も見てますけど,見てる限りでは例えば幼い子どもと保育者の数の比とか,それから保育者の勤続年数,保育者の中への経験の蓄積とか,幼稚園の先生ってわりあいこういう言い方変だけど嫁入り前のひと仕事でどんどん回転していくっていうのがあるでしょ,だから若い女の人がなんかポンキッキのおねえさんみたいな人が,「はーいみんななんとかよ」とかやっている,そういう感じで,あれではなかなか味のある保育は出来ないだろうなとか,そんな感じもあるし。

 それから,幼稚園も生き残りだからとにかく特色を出すというので,小さいときから漢字教育をやるとかなんとかやるというふうに子どもの成長の道理から見て,とてもそんないいと思えないことをやっている幼稚園もあるというか,幼稚園の全部が悪いというんじゃないけども,ただ総じて平均的に見たときにね,僕は保育園の保育の質の良さというのは相対的に言えるんじゃないかというふうに思いますね。

 見ていて保育園でもいい保育をやってるとこと,すごいことをやっているとこと,幼稚園でもいい保育と悪い保育をやってる,だから簡単にどっちが良いとはいえないけど,相対的に見たときに保育園の保育の質が劣っているなんてことは,今やいえないんじゃないかと思ってますけど。

 ただね,おもしろいよ,僕の母親もね,共働きなんてけしからんと思っている,長いこと思っている,今でも思っていると思うけども,保育園にやるなんてカワイソウって,実際どういうとこで過ごしているか見もしないでカワイソカワイソと思ってるんだよね。

 一回ね,一番下の子のときに保育園に連れてっちゃったんですよ。それで,見て,とりわけね給食のお昼ご飯のサンプルが,今日のサンプルが出てた,それを見てね『こんないいものを食べさせてもらってるのか』と言って,それで評価が変わったというか,だからほんとうにその年寄りの人たちは,見ずに心配してるということはあるよね。だからそういう意味では保育園というのは働く両親の子どもの世界としてさっきからだれかがおっしゃったように意識してないと孤立しがちだから,その姿を周りの親にも社会にも知らせていくというか,そういう努力はして,し過ぎることはないというかそんな感じはしますけど。

母(D)
 くやしいなーといつも思っています。私は保育園に子どもを預けていてやはり自分ではいいなーと思っています。

先生
 それからね,いま僕が言ったとおりなんだけど,子どもの側に立ってみれば子どもはもうちょっと,たとえば複雑にそのことを感じている場合もあると思います。

 例えばね,僕の子どもであったことですけど,入学式のときに幼稚園出身のね,子どもの幼稚園からの電報は披露されてね,保育園出身の園からの電報がないとか。

 それからね,先生の中にはともすれば「保育園子は・・・」とか,その保育園の子が引き続いて学童保育へ行くようになると,落ち着きのないとか,「元気だ」って言ってるときはまだ良いんだけど,学校秩序に簡単に従わないとかいうので「問題だ」っていうふうに見られたりするから保育園の子は,ほんとに。

 こういう保育園で過ごしてきたらね,45分ずつキッキッとなっちゃって面白いですね,「ちょっと遊んだかと思ったらすぐ違うことするんだよ学校というのは」とか,そういうふうに保育園子がね,学校に行ってなんかちょっとやるとすぐ違うことになっちゃうんだっていうふうに,ほんとに,こういうふうに保育園から行った子どもの実感だろうなーと思う。

 徹底的に遊ぶでもなし,次から次から細切れの生活がきちゃってね。なんか違和感を感ずるとか,そういう感覚は子どもの中にあると思いますよ。

 僕たちは,小学校の低学年はむしろ保育園の方に近寄せなきゃいけないっていうか,そういう学校にならなきゃいけないっていうふうに改革論をいってるのだけれど。

 社会的にはもっと学校にすぐ合うように,学校以前にやっとかなきゃいけないっていうのがあるから,保育園児は問題だとかそういう見方がわりにあるから,だからそのことを子ども自身はかなり敏感に感ずる場合がある,っていうかな,そのことはよーくわれわれは,子どもはそういう目にわりあいあってるっていうことを知ってて,傷ついているときは支えてやらないと,「子どもには保育園がいいのよ」っていう,親の生き方だけでいいのよいいのよって,揺るがずにいいのよっていってるだけじゃあのーそれはだめですね,だめですねっていうか,子どもはもっと細かくこの社会で傷ついているっているか,そう思いますね。


母(E)
 この3月に所沢から来たんですが,5年間他の保育園にいまして,今こちらの保育園のぞう組にいるのですが,いまお話を聞いてて,子どもの姿を見て,子どもの声をちゃんと聞くということは当然のことで,もちろんそこをやっていくことの他に大人の世界と子どもの世界が閉じすぎてるんじゃないかと思っています。

 もうすこし大人の世界が開かれて,子どもがもっと生き生きと呼吸をし易い雰囲気の地域を大人が作れないかなっていうふうに考えています。

 保育園の場合は,さきほど非行に向き合う親たちの会,そこででた娘さんのことですけど,ハルカ先生って,私がいたあかね保育園の話しだと思いますが,最初見たときに,すごいお化粧をしていて,茶髪で,今は普通ですけど,スリッパを折って履いていて,あれっていうふうに思ったんですけど。

 その人がいろいろ子どもたちの中で,ハルカ先生大好きだって言われながら,変わっていって・・・,その裏には職員の努力があったんだと思うんですけども。

先生
 そうそう。

母(E)
 いろんな人が出入りできる保育園,あかね保育園の場合にはいろんな人が出入りしていたんです。それはすごく大変なことだと思うんですけど。

 たとえば理事長が定年退職になって,週に2回,男の方で遊びに来ていて夕方4時頃から,みんなは「ジジ長ジジ長」って言って遊んでいるんですよね。

 それから,いろいろとちょっと時間のある人が出入りしていたりとか,なんかそういう形でごちゃごちゃ保育園があるってことが私にとっては職場っていうのはまた違う人間関係でしょ,ほかも違う人間関係で,保育園って今まで生きてきた中で色々なところにもいったしやってきたけど,保育園が一番楽しいなって,すごく楽しい空間だなってすごく思うんです。

 で,さきほど保育者と親が子どもの具体的な姿を伝え合うという話をしていたのですけど,こちらに越してきたときに,こちらの保育園はいい保育園で私も満足し,子どもも喜んでいるんですけど,ひとつ寂しいことは,ノートがいままで3年間は子どもの個別のことを書いているノートで,それから幼児クラス,幼稚園に入るくらいの年齢になると集団の動きの中で子どもがどんなことを言っているとか,そういうことを書いた,バインダーになっているんですけれども,それはみんな一緒なんですね。そのなかで,自分の子どもがこういった,誰々ちゃんがこういった,そういうことがわかってそれをベースに親が交流できたんです。

 夫婦でもそれをベースに,子どもってだんだん話をしなくなりますね,あまり聞き出すといやがるし,それを見ながら夫婦も話が深まっていくし,親同士もだれだれちゃんどうしたーとか,そういう中で人間関係を深めることが出来たなーっていうふうに思っているんですね。

 そういうのがひとつあると楽しいなーって思っています。

先生
 そういうのって。

母(E)
 ノートです。

先生
 ノートがないの。

母(E)
 あるんですけど,書いてくださってるんですけど,入り口に。

先生
 張ってあるの。

母(E)
 張ってあるんですね,ただ,子どもが帰ろう帰ろうっていって,毎日読めないので,そういうのがあると言いなーっていうのと,それを作るのは27,8人のコピーをするのは大変だろうなーとか,やっぱりそういうことも考えてしまうんですね。

先生
 連絡帳がないの。

母(E)
 連絡帳はあります。家のことは普通に書いて,それにコメントをもらったり,いろいろしてるんですけど。

先生
 それは皆さんでぜひ議論をしてください。


母(F)
 今のお話をうかがって,わたしも同じぞう組にいます。

 今のクラスでは,実はこういうものを作ろうと親の意見というか,そういうのはありまして,先生と作りましょうと。

 ほんとは4月からできたらよかったんですけども,人数が多くなってきてまして,個別にはきちんとみていただいているんですけども,一緒の子が何をやっているのかが分からないと,すごく子どもが傷ついてと言うか,トラブルがあって帰ってきたときに,今このクラスでどんなことが起こってるのかなということがわかると,子どもが多少泣いて帰ってきても,しょんぼりしてても,今クラスでこんなことが起こってて,その輪の中で子どもがこういうふうに感じてるから今はちょっとしょげてるんだろうとか,そういうふうに思えるので。

 小さいときの4人だとか6人だとか10人とかの集団だったらそれは手に取るように分かるんですけど,それが20何人になってくるとわかんないということで,そういうのをぜひわかりあえると,心配も減るだろうし,もちろん楽しいと思うんですよね。

 ぜひそういうものを作ろうと言うことで話をしてるんですけど,去年ちょっと作ってた,うちの子は2年,ぞう組さんをしているので,前の年したとかあったりで,そうしてみましょうという話しだったのです。

 それにはすごい先生の労力というか,こんなこともありましたあんなこともありましたって書いてあるのをみるのはすごく楽しみなんですけど,それはすごく先生にとって大変なことだと思うんです。20何人分のノートを見て書いて,その間にもいろんなことが起こるわけですよね。だからそれは親たちも一緒になってつくってきたなっていうふうに思っています。で,実際作ったときは大変でした。

先生
 大変でしたか。

母(F)
 大変でした。でもそれはすごく楽しかったんですね。それは他のお母さんよりも先に生々しい原稿がみられて,あー面白いわーとか思いながらの作業は大変だけど楽しかったので,そういうことは先生だけに任せないで親もやってきて,分かり合う努力みたいなものが,たいへんだけどすべきだなーって思います。みなさん一緒にやりましょう。(笑)

先生
 ちょっと離れちゃうかもしれないけど,子どもを見る目とかね,子どもの声を聞き取るセンスというか感性とかは,そういうのはどうやって親や保育者の中で豊かになっていくのかなーっていう,そういう問題があるでしょ。

 それは実物の子どものを見たり,子どもの声を何度も聞くことしかないんだけどね,ただ,同じような子どもを前にしてもすごく感じ取る人と感じ取れない人がいるっていうのも事実でしょ。保育者でもそういうのが違ったりするというか。

 そういう違いってのはどっから出てくるのかとか,それを生まれつきだとか,もって生まれた筋だといってしまったらおしまいになるんですよね。

 どういうふうにしたらいいのかなあ。それで僕は,たとえば僕自身は親として朝送っていくのが僕の役目だったから,それでも忙しいからねえ,ちゃんと連絡帳を家で書いていくなんて出来ないんですよ,保育園行っちゃってね,そこで先生に怒られながら書いているっていうか,あのー,そういう親だったんですね。

 それでも連絡帳書いてるって,始めは若い親で,ほんとうに紋切り型のことしか書いてなかったというか,やっぱり保育はこうやって保育者と手を取り合いながら行かなきゃいけないから,なんとかしましょうとか,なーにを書いてるんだっていうふうに,こんなことばっかり書いていたんです。

 ところが,こんな事じゃダメだなって思うようになって,だんだんそんなことを自分で書いてても面白くないので,この子がこんなに伸びたとか,こんなことをしたのがうれしかったとか,だんだん,だんだん子どものことを書くようになってきたんですね。

 それで,4人の子どもを17年間保育園にやったから,ほとんど17年,毎日子どもの姿で面白いのはこういうことあったとか,それを書いていたわけですよ。そのうちにね,だんだん自分の中で子どものちょっとした表情を,前だったら感じなかったようなことを感じ取るようになってきたかなぁって,今振り返って思うんです。

 だからそれはね,子どもの姿をスケッチしてみるって言うか,それは絵が好きな人は絵でも良いんだけど,文章でこんなに面白かったし,こんなとこが無性に可愛いとかね,こんなとこが心配だとか書いてみる。書いてみると子どもの生活や内面の動きをなぞってみることになるでしょ,おとなが追体験してみることになるわけで,そういうことを繰り返しているとだんだん,だんだん理屈じゃなくて決定的なSOSを子どもが出しているときにパッと向けるとか,決定的な飛躍を遂げたときにその意味を察知してすごくそれにふさわしく喜べるとか,そういうような感じがするんです。

 あのね,僕の所属している教育科学研究会って「教育」って雑誌を出している団体の夏の集会って8月にあったんですが,その閉会集会でね,いろんな荒れてる子どもをどうとらえたらいいのかっていうシンポジウムがあって,そのときに僕のある先輩の研究者がね,「教師には写真家が瞬時にその人らしさとか,花らしさを察知してシャッターを押すように,そういう瞬時にその子の問題とか要求とかどう対応して欲しいかというのを捕らえる感性が必要なんじゃないか」っていうふうに発言したんです。

 これはね,僕は面白い発言だなーって思ったんだけど,ほんとうにすごい写真家の写真なんか見てると,僕は人物を撮っても,たとえば花を撮ってもボーっとしてるんだけど,すごい写真家がとるとね,その人のその人らしさがバーッとこう捕らえてるんですよね。花の花らしさっていうものを。

 あれはどこがちがうのかなあ,やっぱり何度も何度もその対象を見てて撮るっていう,もっともその人らしさとか,ものらしさが現れたところでシャッターを押すっていう,そういう直感力が鍛えられている訳でしょ。

 で,教師だってね,これはとりわけ栃木の黒磯で,刺殺されちゃった女の先生の問題をみんなで考えあったわけなんですけど,その女の先生の欠落部分だけをもちろん責めるわけにいかなくて,非常に大きな問題をあの先生は捕らえられていたから,そうなったんだけどね。それでもなお,あの先生の問題っていうふうに考えてみたら,もう一発言えば完全にキレるってことは分かってるのに言っちゃってるわけですね。

 どうして人間がもうキレそうだとか,もう一押ししちゃったらキレてしまいそうだっていうその表情を,何で察知できないかっていうか,そういう問題が議論されたんです。

 そういうことが,親や保育者が子どもを育てていくときに,たいてい怒ったりね,励ましたりするときに,子どもの状態を一から分析して,こうでこうでこうでこうだから私はこういうとか,そんなふうに子どもに接している人はいないんで,瞬間的にある状況を感じ取って行動したりしてしまうわけですね,ことばを出してしまうわけですね。そのときの瞬間の直感力っていうの,これの有能性とか無能性とか,適切性とか不適切性がある意味で全てを左右する訳ですよね。

 そうすると,その直感力とはどう鍛えられるのかということがすごい大事な問題のように思う。それは僕はもう人間スケッチをどれくらい丹念に繰り返すかとか,あるとき子どもがとった行動に対して,ある感情がワーッとこみ上げてきちゃって,客観的に見ればとんでもないことをしてしまったということがあったとする。そんなことがない人はいない,絶対そういう失敗を何回かやるわけ。

 そのとき,あのときの感性ってなんだったんだろうかとか,どうしてそれに対する歯止めがかからなかったんだろうかと,自分の中で反すうしてみるとかね,なんか肯定的な感情にしろ問題的な感情にしろ,子どもに向かって自分の内部に起こってきた直感的な感情を後で反すうしてみるって言うか,そういうことがすごい大事なんじゃないかなって。

 それはね,ちょっと忙しいからとか忙しくないから,やれるとかやれないっていう問題じゃなくて,忙しくったってそれは出来るっていうか,あのーそういう感じがします。そうなってくると,保育者は20何人抱えて忙しいけど決定的な子どもの問題について,これはどうしたって具体的に伝えなきゃいけないって思うことがあるんですね,そういうときはもうていねいに書くとか,ていねいに伝えるっていうふうにしないといけないんですね。

 なんかすごいことを子どもで感じて,わー嬉しいなと思ったら絶対人間っていうのは自然に人に伝えたくなるものだし,心配だなってことがあれば,相談したくなるものなんですよね。そういうふうに大事なところで大事な交流が子どもの具体的な姿について行われるっていう,そういうことが大事なこと,形ではなくて。

 なんかね,子育て論を言うと,とうとうとやって,それは全部理屈ではあってるんだけど実際の子育てではとんでもない親だとかね,そういうのいるわけですよ,そうならないように,とうとうと述べられないけど,実際に子どもとの接触で発動している感性とかことばというのは実に良いというか,そういう親や保育者になりたいものだと思います。

 それには,だからやっぱり直感を出し合えるようにしないと,理屈にしないで良いから,心配だーとか,うれしいーとか,かわいーとか,そういうのがしょっちゅう飛び交ってて出せて,その直感の中にある大事なものをみんなで考えあえるっていうそういう話が親同士とか,親と保育者でやれることが,大事なんじゃないかなーって。


学習会担当
 話しも尽きないんですが,園と合同ということなので,ゆりかごの先生方からどなたか代表でお話ししていただけないでしょうか。


父母
 先生のお話は4,5回聞いてるんですけど,一番始めに聞いたときは私もまだ若かりしころで,いろいろと保育のやり方などを聞いて,いろいろととまどっていた時期だったんですけど,先生が先ほど2番目に大事なことをいわれましたが,そのことを講演で話されてたんです。その演題もおぼえているんです,『子どもが分かると言うこと』と言う演題でした。

先生
 それはどこで話をしましたか?

保母
 どこかわかりません。(笑)場所は覚えていないんです。

先生
 それは北海道ですか。

保母
 帯広か旭川かどっちかなのかなー

先生
 あーそうか,たぶん帯広ですね。別にどこでも良いんですけども(笑)。

保母
 場所は全然おぼえてないんですが,話の内容は良く覚えていて,ほんとに目の前にいる子どもたちの姿から保育していっていいんだと,自分の肩に力を入れて保育しなくても良いんだっていうのを聞いて,肩の力が抜けたというかストンと落ちた気がしました。そこは,聞き取ることが大切だっていうか,子どもの姿から学ぶっていうか,日々,心がけてはいるんですけど。

 私はしばらく幼児クラスが長かったんですけど,今年は1歳児5人を持っています。5人の姿を見ると,すごく一人ひとりの姿がよく見えるというか,ことばにならない子どもの気持ちも見えてきてるなっていうふうに思うんですね。でも,ふと考えると幼児を持ってたとき,同じだけ一人ひとり見たいなとは思ってるんだけど,実際問題としては,25人とか,20何人をていねいに見てはいなかったのではないか,というふうに思いまして。

 やっぱり,保母の数増やしたら!(爆笑)

先生
 それはね,この前,2週間ぐらい前だったかなー,この園へ初めてきて,大きい子どもたちの人数を聞いて,それは大変だなーと思いましたよ。

 やっぱりほんとに今すぐは出来ないかもしれないけど,それはもっとサイズをね,保育者と子どもの数がその年齢では多すぎるというか,普通そういうふうに感ずると思いますよ。だからそれは,理想論だけ掲げたってどうもならないんで,財政問題が一番大きい問題なんだけど,どうやったらね,いまのままでいいんだってふうに思わないで,どうやったらそれをもうちょっといい状態にしていけるかってことは,すごいこの保育園なんかの大きい課題だと思うんです。

 東京なんかでそんな規模ではないでしょう。公立保育園なんかをみてても。それは自治体がどれくらい保育に金を出してるだとか,そういう問題等が大きく,国基準の後退という問題もあるし,国のあれをどうさせるかと,その通りですよ,言っちゃいけないって事じゃなくて。声高にいわないとなりません。

保母
 署名頑張りましょう!(爆笑)

先生
 だって小学校でもそうでしょう,30何人学級っていってて,実際は30人前後になってるのに,っていうかもっと年齢の低い,ほんとうにていねいな感情への付き合いを必要としてる年齢の子どもが,20何人とかで良いわけはない,それは。


学習会担当
 それでは,もうそろそろお時間になりましたので,お話も尽きないところですが,このへんで終わらせていただきたいと思います。


先生
 ちょっと一言だけいいですか。

 あのね,今のような大人や保育者がやっぱり今まで以上に子どもを安心させられるように取り組んでいくって言うことがとにかく大事だとは思いますが,今,たとえば小学校の低学年なんかで,6月ぐらいに学級崩壊っていうテレビがねNHKで放映されたのをご覧なったかたがいると思いますが,いろんな社会的条件の変化が日常の家庭生活の中にも入り込んできてね,小学校に入ったぐらいの子どもでものすごく不安定な子どもが確かに出てきてるんですよ。

 だから,僕はひょっとしたら不登校というのがこの四分の一世紀の日本の時代を象徴したり,社会の問題を警告するっていうか,言われてきて,それはもっと増えてきてるから,依然としてその問題は続いているんだけど,今ね,学校行ってる子でものすごい不安定で,多動で,注意集中が困難で,表現が暴力的だっていうか,そういう子どもがやっぱりね,ほんとに出て来ちゃってる。

 そういう子どもを抱えちゃったお母さんは,このまま育てていっていいのか。ほっとけばサカキバラ何になるんじゃないかとか,そんなふうに心配になっちゃうっていうのかな。そういうケースがやっぱりちょっと出てきてる。

 だから,そういう子についてはほんとうに生育史がどうだったんだろう。親が悪いとか責めるんじゃなくてね,やっぱりみんなでちょっと考えあっていって,どういう問題を抱えていて,どういう支えを入れたらいいのかっていうことは,相当考え合わなきゃいけないように思うんです。

 ぼくらの相談室がありますけど,そこの相談活動の中でも今,不登校の子どもが多いけど,たぶんそういう子どもが増えてきたりするんじゃないかなって思ってて,ちょっとしっかり勉強してみたいっていうかな,そんなことは思っているんです。それだけちょっと。


学習会担当
 このへんで終わらせていただきたいと思います。

 田中先生には,今後もいろいろと相談に乗っていただいたり,ご指導いただいたりなど,保育園と良い関係を保っていただきたいと(爆笑)。

 これからもどうぞよろしくお願いいたします。本日はどうもありがとうございました。


園長
 ほんとうにどうもありがとうございました。

 2週間前に田中先生は,早朝保育のちょうど保母さんが一人足りないときに,ちょうど8時に来て下さいまして,30分間子どもと遊んでいって下さいました。保父さんをして下さって,子どもが非常に喜んで先生の周りから離れなかった姿がありました。ほんとうに今日はどうもありがとうございました。

 私たちゆりかご保育園の入園のしおりの中に,親たちが安心して働けて,子どもの育ちを親と保育者が一緒に見合っていって,そして保育条件を親と保育者とで一緒に良くしていく保育園っていうことを一応目指している,というふうに書いているんですが,今日,先生のお話,お母さんたち,保母たちの話を聞きながら,それをもっともっとこう重く受けとめて,ひとりでは出きない,だけどこんなにすてきな父母の会と職員の力でそういう保育園を目指せるんじゃないかなって,今日手応えを感じました。

 ほんとうに親も子どもも保育者たちも,心ホッとできる場であるように,この保育園がなっていければいいなって,いつの日かなるんじゃないか,だけど早くなって欲しいと欲張っていこうと考えています。

 今日,この学習会はほんとに父母の会が主導的に進めてくださって,父母の会から頼まれて先生はやっと来ていただいた。私が頼んだらおそらく・・・,されたんじゃないかなっていう程,超,お忙しい先生です。

 ほんとうに貴重なお話を聞かせていただいて,ゆりかごの明日からの歩みに,加えいれていきます。ありがとうございました。


学習会担当
 
本日はお忙しい中ありがとうございました。

文責:ゆりかご保育園「父母の会」

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