ゆりかご あれこれ,なんでも

2001/10-12

<宣伝>署名実行委員会
 子どもたちの明日のために、保育士と父母が協力し署名活動を行っています。
 ご協力いただける方は、Eメール、電話・ファックスで、署名実行委員会宛ご連絡お願い致します。
署名ニュースNo.1 / No.2 / No.3 / No.4/ No.5/ No.6(要:アクロバットリーダー)

2001/8

全国合研参加レポート その1 (2001・神戸)

 鈴木ちよ子

第33回全国保育団体研究集会報告

8月4日(土)5日(日)6日(月)と3日間神戸ワールド記念ホール神戸学院大学開催されました。参加者は、9,670人。北海道から沖縄迄全国の父母、保育士、研究者の人達が中心に集まりました。テーマは「見つめよう子ども達のいまを。語り合おう、保育、子育ての未来を!!」です。会場には、南光町からこの日のために咲かせたひまわりの花800本がステージに飾られています。ステキでした!!

オープニングフォーラム
・朗読劇「その時、私達は」〜「人間を救えるのは人間」「生きる力」「人と人との触れ合い」人間のすばらしさを伝えてくれました。感動!!

・宍戸先生実行委員長あいさつ
20世紀は戦争の世紀、21世紀は子供の世紀にしたい。と力強く語られました。

・二宮先生より基調報告
(震災から公的福祉施設の大切さを伝えてくれました。)

震災は、子どもたちがどこにいてもどんな状態にあっても、憲法と児童福祉法に基づいて生活が守られ保育を受ける権利を行使できる制度の大切さを教えてくれました。また災害時に壊れず広い園庭のおかげで類焼を免れた公立保育所が多かったことは、保育所のような公共施設が災害時にその役割を担うにはどんな建物にしておく必要があるかということを改めて明らかにしました。緊急時に「いのちが守られる」場所、地域の生活と暮らしを支えるコミュニティの核が必要であり、その福祉施設として保育所が位置づけられるのではないか・・・。今後の課題として考えられる必要を感じました。
今日の保育政策の特徴として、待機児童解消を打ち出しています。「最小コストで最大のサービスをめざす」「待機児童ゼロ作戦」は公設民営の推進による公的責任の後退、規制緩和と企業参入による市場化路線が中心で、これを子どもの発達保障や保育条件についての論議を抜きにして政府主導で行なおうとしているところに大きな問題があります。今大切なのは、自治体の保育の実務義務を追及しながら、公立保育園の民営企業化を許さず、保育条件の切り下げをさせず、ナショナルミニマムとしての最低基準を引き上げることです。

分科会・基礎講座
 分科会は、「ゼロ歳児保育」に参加し産休明け保育では「父母と保育士の伝え合い」「生活環境を作る」という2つのレポートが出されました。保育内容を説明するのと同時に実際に保育をみてもらうということで親子通園を取り入れた経験、又、生活環境では、0,1歳の保育室を2つに区切りソファやおもちゃ棚を置いて、子ども達が安心してすごせる環境をというレポートがあり、学ばされることがありました。

 基礎講座では、「現代子育て事情と専門職の役割」という題で「らく相談室」の池添素さんのお話しがありました。「ちょっと気になる子どもたちが増えている」「ちょっと気になる子どもの育ち」など最近の子育て、考えられるいくつかの要因ということで具体的にわかりやすく話されました。
※ 子育てのしづらい環境にあるんですよねー。

講演 「少年H」で伝えたかったこと  妹尾河童さん

「平和」!!のことを改めて考えさせられました。読んでみたい方は申し出下さい。
(荻野ゆずちゃんおばあちゃんよりプレゼントでした!)
*ゆりかご文庫に入れておきますネ。

3日間暑かったけど、元気をいっぱいもらいました。父母・保育士・研究者友に運動を進めているのはすごい!!札幌もガンバロー!

来年は静岡で〜す!

追伸:「小さい仲間」30周年です。読んでいない方、ぜひ読みましょう。読書会などもやっているところがありました。ゆりかごでもやりたいネー。

(神戸学院大学はセミの宝庫)


2001/8

全国合研参加レポート その2 (2001・神戸)

荻野久美子(あひる)

全国合研 参加レポート from KOBE

21世紀最初の全国保育団体合同研究集会が、8月4-6日の3日間神戸で行われました。第1回集会は1969年8月に2000名の参加で行われたそうです。今回は33回目の開催で、約9670名が参加し、約1000名が準備・運営・進行にも関わる大イベントでした。ステージも講演も、話す人も聞く人も歌う人も踊る人もみんなアツくなった3日間でした。
全国合研についてより多くの人に知って頂き、来年の静岡での全国合研につなげたいと思います。

8/4(土) 開会全体会(ワールド記念ホール)
13:00 開会オープニング
ステージは兵庫県南光町から届けられた800本のひまわりに飾られ、兵庫尼崎の保育士・親子総勢243人びっくりするくらい元気な歌で始まりました。震災後の全国からの支援への感謝の気持ちが伝わりました。『明日があるさ』合研バージョンの歌詞に苦笑しました。
13:40 オープニングフォーラム

朗読劇『そのとき私たちは』
阪神大震災の体験と復興を被災者の目から描いた現代詩を18名で朗読しました。
映像は一切なかったけれど、震災の恐怖、被災後の人間の強さ優しさがエピソードを通してリアルに表現され、テレビの報道とは異なる衝撃を受けました。

基調講演「阪神淡路大震災から学ぶ21世紀の社会保障のあり方」
二宮厚美氏(神戸大)震災で最も犠牲になったのは高齢者や子供といった「社会的弱者」でした。しかし震災は、子供たちがどんな状態にあっても、憲法と児童福祉法に基づいて生活が守られ保育を受ける権利を行使できる制度の大切さを教えてくれました。生活の基盤が壊れたとき、地域に根ざした保育・福祉・医療設備はライフラインと同様に必要なものです。公的責任の必要性と福祉専門職の重要性を何度も述べられました。
21世紀になり、政治の流れは「構造改革」。社会保障分野での構造改革は、市場原理を導入することでいわゆる「最小のコストで最大の効果」を狙います。介護保険制度ではサービスは民間の業者が行い、国はその費用を申請により限定的補償します。今後、医療、障害者、保育の分野でも徐々に移行にすると思われます。震災の教訓を生かし、再度社会保障における現物給付の原則を見直すべきではないでしょうか。

「神戸市フリー保母削減撤回の取り組み」
難波佐知子氏(神戸市職員労働組合民生支部)昨年9月、保健福祉局より民生支部に対し財政難を理由に各保育所1名、計85名のフリー保育士削減を提案しました。民生支部と全保育士は保育の質を守るためこの提案の撤回を要求するため、1ヶ月で署名6万筆、陳情はがき5000名分を集め、12月の「子どもの保育を守る集い」には保育士、父母、子供合わせて1800名の参加があり、集会3日後の団体交渉において削減提案を撤回しました。
16:00 JAZZコンサート 岩崎恵子とチェックアンドコールバンド
会場は一転してコンサートホールに。全身きらきらスパンコールのボーカル・マイケル松本が登場。『明日があるさ』を『電線音頭』のようなフリ(←多分)で躍らせたため、会場総立ちで右へ左へ歌い踊る状態になるとは予想外の展開でした。その後もチックコリアやオリジナル曲等で熱く盛り上がり、1時間はあっという間でした。

8/5(日)  基礎講座、シンポジウム、分科会(神戸学院大)、市民子育て講座(ワールド記念ホール)

9:30 基礎講座「どっこい子供は生きてるで=豊かな表現力と生きる希望を=」
土佐いく子氏(大阪・小学校教諭)教育・子育ての分野で今重要なのは、自分を表現しながら、人と人との関係を育てることです。家庭環境やいじめ等が原因で心を閉ざす子供たちも、表情やしぐさの裏で何かを表現しています。それを読み取り寄り添うことで安心し、安心の中から表現は育つというお話でした。作文教育に重点をおき、子供たちに「書きたいこと」を探させ、自由に書かせるそうです。豊かな表現が生まれるためには生き生きした生活、聞く姿勢、話して良かったと思える環境が重要だそうです。ゆりかご保育園ではまさにその部分を大切にしていますよね。

13:30 基礎講座「生命にやさしく地球にやさしく=環境問題を考える=」
藤永のぶよ氏(おおさか市民ネットワーク)地球は、気が遠くなるような長い歴史の中で最後に繁栄した人類によって、急速に環境破壊されています。日本のずさんなゴミの処理の実態と、北欧・ドイツの徹底したリサイクル社会のしくみが紹介されました。これらの国では温暖化対策および脱原発政策が決議され、化石燃料にも原発にも頼らない再生可能なエネルギー(太陽光・風力・木質バイオ・有機質バイオ)への転換が、早急にすすめられています。日本は現在低成長時代ですが、蓄積された技術・経済を環境問題に有効に利用することができるはずです。21世紀の子供たちに負の遺産を残さないように、何が重要なのかを学び、もっと真剣に考える必要があると思いました。

8/6(日)  『ちいさいなかま』創刊30周年のつどい(ワールド記念ホール)

9:30 『ちいさいなかま』創刊30周年のつどい
『ちいさいなかま』は30年前にこの集会を契機に発行され、父母や保育者を結び、保育運動の裾野を広げてきました。創刊来の読者らが30年を振り返り、キンキキッズ『夏の王様』の振付替え歌『みんなで読もうちいさいなかま!』で賑やかにお祝いしました。

10:30 記念講演「『少年H』で伝えたかったこと」
妹尾河童氏(舞台美術家・エッセイスト) ドラマ化もされた『少年H』は、河童さんが自分の“戦争体験”を“若い人”に伝える(=読んでもらう)為、次のことに留意したそうです。
(1) 子供の目で「あの時代」をみた小説として書く (2) 本名で書く(3) 1章9000字(15分)全50章とする (4) 漢字を多用しルビを振る (5) 形容詞を使わない
どうしたら伝わるかを良く考える為、伝えるということはエネルギーが必要だそうです。今の子供たちは対立意見を持たず、「なんで、どうして」というディスカッションをしないが、もっと相手との違いを認め自分の主張を伝えるべきである。世界も民族・言語・宗教の違いを認めつつバランスを大切にするのと同じである、という話が印象的でした。
昔『河童が覗いた〜』シリーズの本を読んで、文章とスケッチによる生活様式の精密な描写に驚きました。お話も分かりやすく、もっといろんな話を聞いてみたいと思いました。今回講演を聞くにあたり、実家にあった『少年H』を読みました。戦争の足音が聞こえてから多くの人の命や心を奪って終結した後まで、H少年は必死で生き抜きました。自分も本の中に引き込まれ、「こんなんいやや、早く戦争やめて」と真剣に感じました。本当に怖いのは個人の意思が国家という権力に抑え込まれてしまったために、「戦争はいやだ」とは言えない状況に陥ったことです。あまりにも大きな代償を払って平和と基本的人権を尊重する憲法を手にいれたのに、終戦後56年経った現在、戦争を合理化し責任はうやむやにする風潮がみらます。平和の大切さ・戦争の恐ろしさを、戦争を知らない大人たちはもっと知り、子供たちに伝えていかなければと思いました。

12:00 閉会セレモニー
兵庫の実行委員により、今回の集会の成果を「集会宣言」としてアピールし、来年の静岡の実行委員にひまわりの種が贈られ、無事に閉会しました。これだけ多くの人たちが作り上げ、そしてまた来年に繋げていくそのパワーに圧倒され、ジンときました。

今回の合研に参加させて頂いたゆりかご保育園のみなさん、ありがとうございました。
「合研参加して良かったよ!」という気持ちは何とか伝わったでしょうか。


2000/10

コンセプトは、

  • 今までの署名委員会でやっていた「カタイ学習会」とは違うイメージを・・・。
  • 食事は「食を考える会」の人気メニューを取り入れ、
  • 保育時も映画を上映するエトセトラ エトセトラ (署名委員広報担当:談)
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2000/8

全国合研参加レポート その2

「全国合研に参加して」

蝦名締子

 初めて全国合研に参加して、全道とは違う人の多さ、スケールの大きさ、迫力に圧倒されました。 パワーあふれる数々の舞台に、自然と自分自身が引き込まれていました。そして、エネルギーをもらった気がします。

一日目 基調トーク 「21世紀に向けて子どもの権利かがやく保育、子育てをめざして」

 各地から、幼稚園・保育園・親の立場としての実践が出されて制度改悪の厳しい情勢の中、親を引き込んで振り向かせ、共に運動して守ってきたという話、親の保育園に入りたいけど入れない難しさを痛感しました。

 また、この場では大和市の無認可託児施設の事件が大きく取りざたされて同じ保育者としてショックを受けました。この背景は認可保育園が足りない、命を預かるという場でありながら無届け制だったり、利益を考えるという競争原理の仕事に変質させられる制度のあり方に、国や自治体の責任が大きく問われるという話に、本当に「そうだ、そうだ」という怒りがこみ上げてきました。

 そして、深刻な少子化が進むからこそ、子供同士がかかわって豊かになることが大事である。その子育ての役割が期待される。国や自治体の公的責任を明確にして、公的保育の充実を得るには運動をし続けることが重要なんだと言うことが実感してわかりました。

 二部の谷川俊太郎さんとDivaの「ことばあそびうたコンサート」は、楽しく、心やすらぐとてもいいひとときを過ごせました。

二日目 シンポジウムに参加しました。

「子育て「困難」時代に希望を!子ども・親・保育者が共感と信頼の環を結び」子どもが「大変」だと言われています。現場では「荒れる」「キレる」学級崩壊、十七才の少年事件が話題になっている。それで、子どもは、「こわい」「何をしでかすかわからない」存在になっていしまってる。

 少年法の改正でも、そういう事件を引き起こす子どもの取り締まりを強化し、厳罰主義で望むべきだ、又、乳幼児期からの子育てが問題化され「しつけ」をきちんとすることが求められている。

 子育ては、不安や課題に迫られるだけのものになってはいけない。親にとっても保育者・教師にとって楽しみ・喜びであり、希望でもあるのです。もちろん、「大変」だなと思ってしまうような子どもたちの「気になる」姿がみられるのは事実です。それは子どもの本質が変わったからなのでしょうか。そうではなくて、子どもを育てる力が変わってきたからではないか。そのために「大きくなりたい」という本来的な願いの実現をはばまれた子どもが、悲鳴をあげている。子どもは、社会や家庭の生活を背負って生きています。と、静岡大学の渡邊保博・コーディネーターの話がありました。

 その後、シンポジスト、保育士、幼稚園教諭、学童保育指導員、小学校教諭の4名の方からの現場実践を話してもらい、生々しい状況を聞き、その大変さを乗り越えて変わっていった子供達の姿をきいて「うなずく」ことがいっぱいでした。

 中でも「学級崩壊」の問題は、私自身、我が子を小学校へ行かせるのを目の前にして、不安でもあり、考えさせられるものでした。実際に授業が成立しない、教師が不登校になったり、休職、退職においこまざるえない状態、そいういう状況に追い込んだ社会のあり方が大きいのではと思う。だからこそ、4者、地域、公的機関、国といった社会の連携が大事なのではないか。

 学童保育指導員が言ってましたが”失敗もいっぱいしていいんだ””子供時代にしかできないバカさを楽しもう””色々なことがあったってちゃんと育っていく””「〜なのに」という目、枠、モデルをもって見てはいけない”。小学校教諭からは「安心できる場」を作ってあげ、自分を出すことが出来るようにしてあげる。遊び、学習で熱中するもの、やりたい、遊びたいというものを探してあげる、目の前の子どもの姿から出発し、子どもに学びながら、子供をつくっていく。

三日目 「21世紀へ!!明日をつくる集い」

 「ぞう列車」という子どもたちの澄んだ歌声に、本当に輝く21世紀平和という言葉が身にしみました。

 そして次のミュージカル風シュプレッヒドラマ「みんな笑顔の空の下」は、100人の神奈川県内の保育者達が情勢をしっかり組み込んで、保育者、子ども、親、制度とわかりやすく、かつインパクトがあって、9500人の会場がひとつになるほどの迫力でした。感動し、力づけられました。

記念講演「戦争と平和」

松谷さんの話は実体験を生々しく話し、聞いていてもその恐ろしさ、悲惨さが伝わってきました。おやだかで柔らかい口調の中にも、力強い意思にあふれた重いが伝わってきて、平和の願いを新たに思いました。参加して本当に良かったです。参加してみなければ分かりません。来年は兵庫県神戸市です。是非積極的に参加しましょう。


2000/8

全国合研参加レポート その1

肥田 理恵 (ぞう・はと)

 去る8月4,5,6日の3日間、異国情緒薫る横浜で開かれた全国保育団体合同研究集会に出席してきました。会場となったパシフィコ横浜はシドニーのオペラハウスを思わせるようなばかでかい建物で、その中の5000人も収容できる大ホールで合研の開会式が行われました。ホールはほぼ満員で、「こんなに人の集まる集会だったのね!」とまずびっくり。

 オープニングは壮大な三崎太鼓の演奏で始まり、小学生から大人まで(園児もいたかもしれません)総勢50人以上の大舞台で、前列から2列目スピーカー前に座った私はあまりの迫力にただただ圧倒!されたのでした。(日本の伝統芸能は素晴らしいですね)

 その後、谷川俊太郎さんとDiVaのジョイントコンサート。谷川さんが詩を朗読したり詩に曲をつけてDiVaが演奏したり、心温まるコンサートでした。

 2日目は会場を2つに分け分科会やシンポジウムが行われました。私は『子育て困難時代に希望を――子供・親・保育者が共感と信頼の環を結び―― 』というテーマで行われたシンポジウムに参加しました。シンポジストは保育園・幼稚園・学童・小学校から4名の保育に関わる方々が参加され、取り組みを発表されました。埼玉県にある学童の取り組みでは、家庭環境や親の子育ての方針が精神的ストレスとなり問題行動を起こすようになった子供への関わりについて発表がありました。発表の中で、子供がどんな問題行動を起こしても、決してその子のことを離さず辛抱強く関わっていること、親の行動を批判せず受け入れていく中で親が学童に助けを求めてくるようになり信頼関係ができていったことが報告されました。

また小学校の先生から学級崩壊を起こしているクラスを担当したときの取り組みが報告されました。学級崩壊を起こすような子供たちは、実はさまざまな悩み(家庭の問題・いじめなど)を抱えている。しかしどの子も深く関わってみると、それぞれに子供らしい感性をきちんと持ち合わせている。必要であれば子供を取り巻く環境(家庭・友達関係など)にまで踏み込み、子供のことを理解していく必要があるというのが報告の主旨でした。

その先生は長く教師生活をしてきて、このクラスを持って初めて「くそじじぃ」と言われたそうです。ところがこれを言った子供は次の瞬間には無邪気な顔をしているそうで、言われた大人のほうがいつまでもこだわっているだけで、子供にしてみればそう他意がないかもしれないといっていたのがとても印象に残っています。ところでどの報告でも共通して語られていたのは、すごくあたりまえのことですが親の取り組みが子育てには欠かせないのだということでした。保育者側が親の取り組みの重要性をこれほどまでに訴えなければならないほど、今、私たち親の問題(子供への無関心や子育ての方法など)が深刻なのだと強く感じたのでした。

 会場が離れている為、分科会へ出席できなかったのが残念でしたが、抄録の内容を見る限りゆりかご保育園の父母の会やホームページ、延長保育の取り組みなども十分発表に値するのではと思いました.。来年あたり発表してみてはどうでしょう。

 3日目には「戦争と平和」というテーマで作家である松谷みよ子さんの講演がありました。松谷みよ子さんといえば、上の子の竜実が生まれた時に初めて買った絵本が松谷さんの『いないいないばあ』で、やさしい絵本を書かれる作家と言うのが私の中の印象でした。

はたして生の松谷さんはやはり穏やかな話し方をされるとても素敵な方で、(あまりに穏やかな話っぷりに私の隣に座っていた方は鼻ちょうちんをふくらませたりしたのですが)、でも講演のお話はそんな印象とは全く違い、戦争を後世に伝える為に強い意志をもって作品を作ってきた松谷さんの歴史が語られたのでした。

 松谷さんが戦争を伝えなければと本気で思うきっかけになったのは、戦時中自分が体験した空襲や弾圧、疎開生活等を娘さんに話した時、「それだけ?、そんな話ばかりだね。」という一言を言われたことからで、自分や学校が語る戦争は被害者の視点からばかりであるが、子供は戦争について"全て"が知りたいのだと気が付いたそうです。そして加害者としての日本についても調べ始め、取材をもとに作品を作っていったそうです。講演の後半では日本が侵略した国々やドイツなどにも取材に行ったこと、戦時中日本が極悪非道な人体実験の末開発した化学兵器が後にベトナム戦争の枯葉剤などに使用されたこと、これを開発した部隊はアメリカにその情報を売ることで戦犯の罪から逃れたこと、その部隊に所属していた人たちが後に設立した薬品会社が薬害エイズの問題を起こしていること……など戦争の話は多岐にわたり、当初居眠りをしていた私の隣に座っていた方もいつしか真剣な眼差しで松谷さんの話に聞き入っていました。松谷さんの子供へむけた作品は、戦争に対する深い知識と決して繰り返してはいけないという強い想いの上に作られていると言うことを知ったのでした。

さてこの講演を最後に全国合研は無事終了し、静かな感動を胸に家族が待つランドマークタワーへ行くと(今回は家族で横浜へ行きました)、夫が子供達に本を読んでいました。それは『ひろしまのピカ』と言う本でした。「今日は広島に原爆が落とされた日だからね」という夫の言葉に、「戦争を風化させてはいけない、私達は伝え続けなければいけないのです。」という松谷さんの言葉がよみがえりました。少し前まで私は戦争を伝えられる立場でありましたが、今は伝えなければいけない立場なんだなと今更ながらに実感したのでした。

 いろいろなことを考えさせられた3日間でしたが、とても有意義なものでした。ゆりかご保育園がいつから合研への派遣の取り組みをしているのか、実は知りませんが、これはとても意義のある企画だと思います。

 来年の開催は神戸だそうです。皆さん今から仕事の調整をしておきましょう。最後に、このような会に参加する機会を下さった、ゆりかご保育園、父母の皆様、そして「お母さん勉強行ってらっしゃい」と快く送り出してくれた子供達と横浜の酷暑の中子供達を見ていてくれたお父さんに深く感謝して、報告レポートとさせていただきます。


’99ほっかいどうの保育白書から
ゆりかご関連部分掲載

水って汚れるものなんです。

白浜 文子  ゆりかご保育園

 ――といわれても、なかなかピンとこない方も多いでしょうか。いや、環境ホルモン等で逆に敏感になっている方のほうが多いかも………。水汚染のほとんどはここ50年のもの。海の水が全ていれかわるのに3千年程かかることを考えると,驚くほどの汚し様です。これからさらに50年同じ汚し方をすると?……考えるだけで怖いものがあります。人間が汚しているのに“元に戻すのは自然に任せましょう”なんて虫が良すぎるんじゃないですか?

 というわけで,多少堅い話ではありますが生活廃水のことに限定して「最低限これだけやってみましょう!」ということを4つほど挙げていきたいと思います。この手の問題は「大変な問題だ!!」と考えて徹底的にやってみても熱が冷めたらもういーや、という健康法やダイエットのお試し期間のようではダメ!だから自分で「これだけはどんなときでも実行するぞ!」という最低ラインを持ちましょう。今から挙げるのは、カンタンなことなので拍子抜けするかも……。根拠も書いていきますので家庭での参考にしてみて下さい。

ゴミコーナーは古いストッキングや目の細いゴミ受け袋を使う

 ストッキングの利用が面倒くさい(または私のように殆どはかない)のであれば目の細いゴミ袋を買うときにチェックするだけ!かんたーんです。できれば三角コーナー、排水溝に二つつけるともっと良いでしょう。パイプつまりの予防にもなります。

 <何故>生ゴミ等が混じったり、安易に味噌汁の残りなど捨てると、滞留した流れのところで「富栄養」現象を招きます。「富栄養」というよりも“過”栄養といいますか・……?水にチッソやリン等、本来動植物の育成に無くてはならない栄養塩類<農家・ゴルフ場の化学肥料・畜糞尿・家庭排水・生ゴミなどに入っている>が流入することに端を発します。自然にある以上の大量の栄養塩類が湖、内湾などに流入すると、植物プランクトンや藻がはびこり、澄んだ水でないと住めない虫や魚類が死滅します。結果イトミミズやボウフラ等の大量発生。水はドロドロににごり臭気を放つこととなります。この現象が「富栄養化」です。つまりきれいな池がドブ池になるようなものですね。汁物も使いきりに。

 油は絶対に流さない

 使い切るのが理想でしょうが、アレルギーなどで古い油を使わない方が良い方もいると思います。布等に染み込ませて(市販品もあります)捨てましょう。少ない油や汚れは紙でふき取り、後はお湯で流しましょう。

 上とくらべるとちょっぴり手間。でも洗剤つける前にふきとると洗う時が楽です。

 <何故>食用油を1cc流すと魚の住める水質になる為に約200l(お風呂一杯弱)の水が必要になります。ススゴイ!
 じゃあ天ぷら1回分の油だとどれくらいになるかしら…

 節水をする

 残り湯の活用や、とぎ汁の再利用など。特にとぎ汁でフローリングがピカピカになるって知っていました?

 <何故>川から水を取る量が減る=川に豊かな流れが戻るということ。そうなると、有害なものを薄めることができ自分で(川が自然に)汚れを浄化できる範囲に収めることができます。
 たとえばコンロ掃除。そのときにふけばサッとひとふきで終わるのに1ヶ月ためると、ものすごい労力を使わないととれませんよね。ハイ、それは私です。

 石けんを使おう!

 「石けんてとけにくいから」と思ってらっしゃる方、それは古い考えです。現在の石けんは水どけがいいですよー。心配なときはぬるま湯でとくとOK。それ以上にいいのは予洗い(洗剤を入れる前に三分程洗濯機をまわし、一度脱水)をすると、石けんカスも殆ど出ません。これを気にしない方は、買うときに品質表示を見るだけ!

 “石けん”“脂肪酸ナトリウム”“脂肪酸カリウム”と書いてあるものを選びましょう。

 また、食器洗剤で主婦湿疹になる方は年々増えています。私も湿疹まではいきませんが、ぴりぴりします。当園のお母さんでも石けんに変えて症状が出なくなった方が何人かいますよ。

 <何故>合成洗剤は分解も遅く有害性も高いうえ(生活クラブ生協でのメダカの実験では合成洗剤を入れた水のメダカがバタバタ死んで行くのに対し、石けん水ではぴんぴんしていました。植物に投与する実験でも同様)、本当は汚れおちも石けんより悪いって知っていましたか?それを蛍光剤などの“助剤”を使ってごまかしているんです。
 エッ?下水処理で消毒、ろ過してるんだから大丈夫?実は現在の日本の下水道普及率は50〜60%といったところです。(北海道はもっと高いらしい)下水道が整備されていないところでは、浄化槽で廃水処理が排水処理が行われてはいますが殆どは屎尿しか浄化せず、台所・洗濯水などその他の排水は未処理のまま河川へたれ流している状態なのです。
 環境ホルモンの問題等でも「人間に悪影響があるかどうかわからないから対応は控え調査を行う」なんて、魚や自然に影響出てりゃ充分じゃないか!と言いたい私。

 ―――とえらそうなことを書いてしまいました。たいしたエコ人間ではない私がこんなことを書いて恥ずかしい……。でも私達は子供を通じて未来を案じる目をもつ機会を与えられているのですからどうぞお試しください。


北海道新聞1999年9月1日(水)付朝刊の特集から
ゆりかご関連部分のみ掲載

20世紀 北の記憶(65)
保育所は親と父母が共に育てた
行政を動かした理想求める情熱


<略>

 「子供の面倒を見てくれる所がないというせっぱ詰まった緊張感はあるけれど、資金はゼロ。保育所といっても我が家の六畳間.夜間の保育専門学校生に保母をしてもらい、近所のお茶屋さんでわけてもらった一箱五円の段ボール箱が遊具でした。二歳の末娘も預かった三人の赤ちゃんの遊び相手になってくれました。」六八年、北大に勤める親たちと手を携えて札幌市北七条に「ゆりかごの家」を開設したときの様子を、矢島満子(現幌北ゆりかご保育園園長)はこう語る。

 「ゆりかごの家」が開所する一年前の六七年には「はとポッポ」が誕生、その後、札幌には,風の子、くまの子、ねむの木、そよ風、つくしの子といった共同保育所が次々と産声を上げた。さらに函館、岩見沢、稚内、旭川、帯広などにも広がった。

いずれも自宅やアパート、車庫を使い、部屋を提供した主婦と保母が保育を担当。「共同」の名称に、親と保育者が共に運営するという意味が込められた。

 産休明けから利用できることが口コミで広がると、あっという間に子供が増えた。「ゆりかごの家」の矢島と親たちは広い保育室を求めて貸し家探しに奔走する。やっと見つかったのはネズミが出る床が傾いた古家や地下室。粗末な施設でもすぐに満杯になり、「トイレの前の廊下でいいから寝かせて」と懇願されたことも。開設から五年間で五回の引越しをした。

 「ゆりかごの家」が特別だったわけではない。国や道、市からの助成がほとんどない無認可施設のため、経営は火の車。安全や衛生、防寒の問題を抱えていた。そうした不足を解消するために、役所との交渉が親や保育所の大きな仕事になった。


<略>

 「ゆりかごの家」に子供を預けた常盤野康子(札幌)は「子供も私も育てられた」と振り返り、こう続ける。
 「助成金を求めて市役所に交渉に行く、バザーをやって運営資金を稼ぐ…子育てと仕事だけでも忙しいのに、それに保育所の運営。平日の夜や土日はほとんどつぶれた。それができたのは、いい環境の中ですこやかに育ってほしかったから。理想の保育を保育者と一緒に形にしていった。」


<略>

 七〇年代に入ると認可獲得運動へと展開する。矢島たちは「運営は厳しい、賃金は低い、労働条件も悪い。保育料は高い。保育所は本来、国と自治体が運営するのが本筋。それには公立並みの助成が出る認可保育所にならなければ。」と考えた。その後、「はとポッポ」などが次々と認可を獲得した。


<略>

 「ゆりかごの家」は親が中心になって、園舎建設の資金を集め、用地を探し、開設五年目の七三年、道内の共同保育所の中ではじめて認可保育所となった。


上記と同じく
北海道新聞1999年9月1日(水)付朝刊の特集から
小出まみの記事を全文掲載

集団の中で子どもは育つのか、育児法規ではないのか…。働く母親たちは保育所を頼りにしながら、一方で不安も抱えている。1984年に出版された「保育園児はどう育つか」(ひとなる書房)はこうした働く親の気持ちにこたえ、今も読み継がれている。著者の小出まみさん=札幌=は元市立名寄短大教授。自らも子供のために保育所づくりに参加しながら、保育や子育てについて研究している。

あのときいま
孤独な子育てに支援を

保育問題研究家(当園理事長代理)
小出まみ

 「保育園児はどう育つか」は、札幌の保育所で生後四十三日から六歳二ヶ月までを過ごした子どもの成長の様子を、保育所と家庭の記録をもとにまとめました。さまざまな体験をたくさんの仲間として、子どもはもちろん親も大きく成長したことを伝えたかったのです。

 この本を出す三年前の八一年から市立名寄短大で研究と教育の仕事を始めました。そのころ子どもの心とからだがおかしくなっていると問題になり、子育ての難しさが表面かし始めました。「母原病」という本がベストセラーになり、母親が攻撃の的となったのです。

 一方、国は保育抑制の立場で、家庭で母親が育てるのが望ましいという意見が幅を利かせていました。保育所に通わせることに後ろめたさを感じていた親も多かったのです。

 今、病気療養中ですが、カナダの子育て支援制度を調べています。カナダでは密室の孤独な子育ては避けようと、さまざまな助け合いの仕組みがあります。カナダを見ていると、日本の子育てをめぐるさまざまな問題が照らし出されてきます。

 家庭では母と子が一対一で向き合う子育ては、孤独になりがちです。保育所はその対極にあります。出生率の低下や育児不安が広がるなか、国は保育所を「必要悪」から家庭にいる母子を援助するものに役割を転換させ、「エンゼルプラン」を打ち出しました。しかし保育所がそうした子育て支援の機能を持つには、十分なスペースや人、財源が必要です。保育所に一般在宅母子のための支援活動をしろというのは、あまりに安易で身勝手だと思います。


読売新聞 1999年8月26日(木)付朝刊の生活欄から
ゆりかご関連部分のみ掲載

 離乳食
親の料理にひと手間
取り分けのすすめ 小冊子やHP

 「赤ちゃんの離乳食は大人の料理からの取り分けを」とアドバイスする離乳食紹介の小冊子やホームページが人気を呼んでいる。初めての育児で、赤ちゃんの食事は別に用意しなくてはと思いこみがちな親にとって、大きなヒントになっているようだ。


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 札幌市北区の幌北ゆりかご保育園では昨年秋、父母が中心になって、離乳食についてのインターネットのホームページ(http://www.geocities.co.jp/Berkeley/2283/rinyu.html)をつくった。赤ちゃんの成長に合わせた保育園のメニューが自宅でヒントになると人気だ。


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日本経済新聞 1999年5月10日(月)付 夕刊から
ゆりかご関連部分のみ掲載

 若い母親待望の“トラの巻き”
離乳食レシピ
本やネットで
経験談など手軽に入手

赤ちゃんの離乳食はこんな風に作ってみては−−。
若い母親向けに、簡単な離乳食の作り方を紹介したり、様々なアドバイスをする本や、インターネットのホームページなどが相次ぎ登場している。少子化を背景に、子育ての機会が減り経験が不足気味なのに加え、核家族化などで自分の親や近所から情報を得にくくなっているのが背景だが、自宅などで手軽に情報が得られる点が受けているようだ。


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 父母が中心になり、離乳食などについてインターネットのホームページを作ったのは幌北ゆりかご保育園(札幌市北区)。園児の母親から「作った離乳食を赤ちゃんが食べてくれない」といった不安の声や相談が多く寄せられているのに答えた。

 同園の栄養士や、零歳児担当の職員らも父母らの試みに協力。メニューのレシピを紹介したり、「焦らず、遅れず、様子を見ながら」「楽しく食べる」といった食事を与える上での注意も。園長の矢島満子さんは「保育園には育児のノウハウがこれまでいっぱい蓄積されており、広くそれを伝えたい」と話す。


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