2001/10-12 <宣伝>署名実行委員会子どもたちの明日のために、保育士と父母が協力し署名活動を行っています。 ご協力いただける方は、Eメール、電話・ファックスで、署名実行委員会宛ご連絡お願い致します。 署名ニュースNo.1 / No.2 / No.3 / No.4/ No.5/ No.6(要:アクロバットリーダー) |
2001/8 全国合研参加レポート その1 (2001・神戸) 鈴木ちよ子 第33回全国保育団体研究集会報告 8月4日(土)5日(日)6日(月)と3日間神戸ワールド記念ホール神戸学院大学開催されました。参加者は、9,670人。北海道から沖縄迄全国の父母、保育士、研究者の人達が中心に集まりました。テーマは「見つめよう子ども達のいまを。語り合おう、保育、子育ての未来を!!」です。会場には、南光町からこの日のために咲かせたひまわりの花800本がステージに飾られています。ステキでした!! オープニングフォーラム ・宍戸先生実行委員長あいさつ ・二宮先生より基調報告 震災は、子どもたちがどこにいてもどんな状態にあっても、憲法と児童福祉法に基づいて生活が守られ保育を受ける権利を行使できる制度の大切さを教えてくれました。また災害時に壊れず広い園庭のおかげで類焼を免れた公立保育所が多かったことは、保育所のような公共施設が災害時にその役割を担うにはどんな建物にしておく必要があるかということを改めて明らかにしました。緊急時に「いのちが守られる」場所、地域の生活と暮らしを支えるコミュニティの核が必要であり、その福祉施設として保育所が位置づけられるのではないか・・・。今後の課題として考えられる必要を感じました。 分科会・基礎講座 基礎講座では、「現代子育て事情と専門職の役割」という題で「らく相談室」の池添素さんのお話しがありました。「ちょっと気になる子どもたちが増えている」「ちょっと気になる子どもの育ち」など最近の子育て、考えられるいくつかの要因ということで具体的にわかりやすく話されました。 講演 「少年H」で伝えたかったこと 妹尾河童さん 「平和」!!のことを改めて考えさせられました。読んでみたい方は申し出下さい。 3日間暑かったけど、元気をいっぱいもらいました。父母・保育士・研究者友に運動を進めているのはすごい!!札幌もガンバロー! 来年は静岡で〜す! 追伸:「小さい仲間」30周年です。読んでいない方、ぜひ読みましょう。読書会などもやっているところがありました。ゆりかごでもやりたいネー。 (神戸学院大学はセミの宝庫) |
2001/8 全国合研参加レポート その2 (2001・神戸) 荻野久美子(あひる) 全国合研 参加レポート from KOBE
21世紀最初の全国保育団体合同研究集会が、8月4-6日の3日間神戸で行われました。第1回集会は1969年8月に2000名の参加で行われたそうです。今回は33回目の開催で、約9670名が参加し、約1000名が準備・運営・進行にも関わる大イベントでした。ステージも講演も、話す人も聞く人も歌う人も踊る人もみんなアツくなった3日間でした。 8/4(土) 開会全体会(ワールド記念ホール) 朗読劇『そのとき私たちは』 基調講演「阪神淡路大震災から学ぶ21世紀の社会保障のあり方」 「神戸市フリー保母削減撤回の取り組み」 8/5(日) 基礎講座、シンポジウム、分科会(神戸学院大)、市民子育て講座(ワールド記念ホール) 9:30 基礎講座「どっこい子供は生きてるで=豊かな表現力と生きる希望を=」 13:30 基礎講座「生命にやさしく地球にやさしく=環境問題を考える=」 8/6(日) 『ちいさいなかま』創刊30周年のつどい(ワールド記念ホール) 9:30 『ちいさいなかま』創刊30周年のつどい 10:30 記念講演「『少年H』で伝えたかったこと」 12:00 閉会セレモニー 今回の合研に参加させて頂いたゆりかご保育園のみなさん、ありがとうございました。 |
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2000/8 全国合研参加レポート その2 「全国合研に参加して」 蝦名締子
初めて全国合研に参加して、全道とは違う人の多さ、スケールの大きさ、迫力に圧倒されました。 パワーあふれる数々の舞台に、自然と自分自身が引き込まれていました。そして、エネルギーをもらった気がします。 一日目 基調トーク 「21世紀に向けて子どもの権利かがやく保育、子育てをめざして」 各地から、幼稚園・保育園・親の立場としての実践が出されて制度改悪の厳しい情勢の中、親を引き込んで振り向かせ、共に運動して守ってきたという話、親の保育園に入りたいけど入れない難しさを痛感しました。 また、この場では大和市の無認可託児施設の事件が大きく取りざたされて同じ保育者としてショックを受けました。この背景は認可保育園が足りない、命を預かるという場でありながら無届け制だったり、利益を考えるという競争原理の仕事に変質させられる制度のあり方に、国や自治体の責任が大きく問われるという話に、本当に「そうだ、そうだ」という怒りがこみ上げてきました。 そして、深刻な少子化が進むからこそ、子供同士がかかわって豊かになることが大事である。その子育ての役割が期待される。国や自治体の公的責任を明確にして、公的保育の充実を得るには運動をし続けることが重要なんだと言うことが実感してわかりました。 二部の谷川俊太郎さんとDivaの「ことばあそびうたコンサート」は、楽しく、心やすらぐとてもいいひとときを過ごせました。 二日目 シンポジウムに参加しました。 「子育て「困難」時代に希望を!子ども・親・保育者が共感と信頼の環を結び」子どもが「大変」だと言われています。現場では「荒れる」「キレる」学級崩壊、十七才の少年事件が話題になっている。それで、子どもは、「こわい」「何をしでかすかわからない」存在になっていしまってる。 少年法の改正でも、そういう事件を引き起こす子どもの取り締まりを強化し、厳罰主義で望むべきだ、又、乳幼児期からの子育てが問題化され「しつけ」をきちんとすることが求められている。 子育ては、不安や課題に迫られるだけのものになってはいけない。親にとっても保育者・教師にとって楽しみ・喜びであり、希望でもあるのです。もちろん、「大変」だなと思ってしまうような子どもたちの「気になる」姿がみられるのは事実です。それは子どもの本質が変わったからなのでしょうか。そうではなくて、子どもを育てる力が変わってきたからではないか。そのために「大きくなりたい」という本来的な願いの実現をはばまれた子どもが、悲鳴をあげている。子どもは、社会や家庭の生活を背負って生きています。と、静岡大学の渡邊保博・コーディネーターの話がありました。 その後、シンポジスト、保育士、幼稚園教諭、学童保育指導員、小学校教諭の4名の方からの現場実践を話してもらい、生々しい状況を聞き、その大変さを乗り越えて変わっていった子供達の姿をきいて「うなずく」ことがいっぱいでした。 中でも「学級崩壊」の問題は、私自身、我が子を小学校へ行かせるのを目の前にして、不安でもあり、考えさせられるものでした。実際に授業が成立しない、教師が不登校になったり、休職、退職においこまざるえない状態、そいういう状況に追い込んだ社会のあり方が大きいのではと思う。だからこそ、4者、地域、公的機関、国といった社会の連携が大事なのではないか。 学童保育指導員が言ってましたが”失敗もいっぱいしていいんだ””子供時代にしかできないバカさを楽しもう””色々なことがあったってちゃんと育っていく””「〜なのに」という目、枠、モデルをもって見てはいけない”。小学校教諭からは「安心できる場」を作ってあげ、自分を出すことが出来るようにしてあげる。遊び、学習で熱中するもの、やりたい、遊びたいというものを探してあげる、目の前の子どもの姿から出発し、子どもに学びながら、子供をつくっていく。 三日目 「21世紀へ!!明日をつくる集い」 「ぞう列車」という子どもたちの澄んだ歌声に、本当に輝く21世紀平和という言葉が身にしみました。 そして次のミュージカル風シュプレッヒドラマ「みんな笑顔の空の下」は、100人の神奈川県内の保育者達が情勢をしっかり組み込んで、保育者、子ども、親、制度とわかりやすく、かつインパクトがあって、9500人の会場がひとつになるほどの迫力でした。感動し、力づけられました。 記念講演「戦争と平和」 松谷さんの話は実体験を生々しく話し、聞いていてもその恐ろしさ、悲惨さが伝わってきました。おやだかで柔らかい口調の中にも、力強い意思にあふれた重いが伝わってきて、平和の願いを新たに思いました。参加して本当に良かったです。参加してみなければ分かりません。来年は兵庫県神戸市です。是非積極的に参加しましょう。 |
2000/8 全国合研参加レポート その1 肥田 理恵 (ぞう・はと) 去る8月4,5,6日の3日間、異国情緒薫る横浜で開かれた全国保育団体合同研究集会に出席してきました。会場となったパシフィコ横浜はシドニーのオペラハウスを思わせるようなばかでかい建物で、その中の5000人も収容できる大ホールで合研の開会式が行われました。ホールはほぼ満員で、「こんなに人の集まる集会だったのね!」とまずびっくり。 オープニングは壮大な三崎太鼓の演奏で始まり、小学生から大人まで(園児もいたかもしれません)総勢50人以上の大舞台で、前列から2列目スピーカー前に座った私はあまりの迫力にただただ圧倒!されたのでした。(日本の伝統芸能は素晴らしいですね) その後、谷川俊太郎さんとDiVaのジョイントコンサート。谷川さんが詩を朗読したり詩に曲をつけてDiVaが演奏したり、心温まるコンサートでした。 2日目は会場を2つに分け分科会やシンポジウムが行われました。私は『子育て困難時代に希望を――子供・親・保育者が共感と信頼の環を結び―― 』というテーマで行われたシンポジウムに参加しました。シンポジストは保育園・幼稚園・学童・小学校から4名の保育に関わる方々が参加され、取り組みを発表されました。埼玉県にある学童の取り組みでは、家庭環境や親の子育ての方針が精神的ストレスとなり問題行動を起こすようになった子供への関わりについて発表がありました。発表の中で、子供がどんな問題行動を起こしても、決してその子のことを離さず辛抱強く関わっていること、親の行動を批判せず受け入れていく中で親が学童に助けを求めてくるようになり信頼関係ができていったことが報告されました。 また小学校の先生から学級崩壊を起こしているクラスを担当したときの取り組みが報告されました。学級崩壊を起こすような子供たちは、実はさまざまな悩み(家庭の問題・いじめなど)を抱えている。しかしどの子も深く関わってみると、それぞれに子供らしい感性をきちんと持ち合わせている。必要であれば子供を取り巻く環境(家庭・友達関係など)にまで踏み込み、子供のことを理解していく必要があるというのが報告の主旨でした。 その先生は長く教師生活をしてきて、このクラスを持って初めて「くそじじぃ」と言われたそうです。ところがこれを言った子供は次の瞬間には無邪気な顔をしているそうで、言われた大人のほうがいつまでもこだわっているだけで、子供にしてみればそう他意がないかもしれないといっていたのがとても印象に残っています。ところでどの報告でも共通して語られていたのは、すごくあたりまえのことですが親の取り組みが子育てには欠かせないのだということでした。保育者側が親の取り組みの重要性をこれほどまでに訴えなければならないほど、今、私たち親の問題(子供への無関心や子育ての方法など)が深刻なのだと強く感じたのでした。 会場が離れている為、分科会へ出席できなかったのが残念でしたが、抄録の内容を見る限りゆりかご保育園の父母の会やホームページ、延長保育の取り組みなども十分発表に値するのではと思いました.。来年あたり発表してみてはどうでしょう。 3日目には「戦争と平和」というテーマで作家である松谷みよ子さんの講演がありました。松谷みよ子さんといえば、上の子の竜実が生まれた時に初めて買った絵本が松谷さんの『いないいないばあ』で、やさしい絵本を書かれる作家と言うのが私の中の印象でした。 はたして生の松谷さんはやはり穏やかな話し方をされるとても素敵な方で、(あまりに穏やかな話っぷりに私の隣に座っていた方は鼻ちょうちんをふくらませたりしたのですが)、でも講演のお話はそんな印象とは全く違い、戦争を後世に伝える為に強い意志をもって作品を作ってきた松谷さんの歴史が語られたのでした。 松谷さんが戦争を伝えなければと本気で思うきっかけになったのは、戦時中自分が体験した空襲や弾圧、疎開生活等を娘さんに話した時、「それだけ?、そんな話ばかりだね。」という一言を言われたことからで、自分や学校が語る戦争は被害者の視点からばかりであるが、子供は戦争について"全て"が知りたいのだと気が付いたそうです。そして加害者としての日本についても調べ始め、取材をもとに作品を作っていったそうです。講演の後半では日本が侵略した国々やドイツなどにも取材に行ったこと、戦時中日本が極悪非道な人体実験の末開発した化学兵器が後にベトナム戦争の枯葉剤などに使用されたこと、これを開発した部隊はアメリカにその情報を売ることで戦犯の罪から逃れたこと、その部隊に所属していた人たちが後に設立した薬品会社が薬害エイズの問題を起こしていること……など戦争の話は多岐にわたり、当初居眠りをしていた私の隣に座っていた方もいつしか真剣な眼差しで松谷さんの話に聞き入っていました。松谷さんの子供へむけた作品は、戦争に対する深い知識と決して繰り返してはいけないという強い想いの上に作られていると言うことを知ったのでした。 さてこの講演を最後に全国合研は無事終了し、静かな感動を胸に家族が待つランドマークタワーへ行くと(今回は家族で横浜へ行きました)、夫が子供達に本を読んでいました。それは『ひろしまのピカ』と言う本でした。「今日は広島に原爆が落とされた日だからね」という夫の言葉に、「戦争を風化させてはいけない、私達は伝え続けなければいけないのです。」という松谷さんの言葉がよみがえりました。少し前まで私は戦争を伝えられる立場でありましたが、今は伝えなければいけない立場なんだなと今更ながらに実感したのでした。 いろいろなことを考えさせられた3日間でしたが、とても有意義なものでした。ゆりかご保育園がいつから合研への派遣の取り組みをしているのか、実は知りませんが、これはとても意義のある企画だと思います。 来年の開催は神戸だそうです。皆さん今から仕事の調整をしておきましょう。最後に、このような会に参加する機会を下さった、ゆりかご保育園、父母の皆様、そして「お母さん勉強行ってらっしゃい」と快く送り出してくれた子供達と横浜の酷暑の中子供達を見ていてくれたお父さんに深く感謝して、報告レポートとさせていただきます。 |
’99ほっかいどうの保育白書から
ゆりかご関連部分掲載 水って汚れるものなんです。 白浜 文子 ゆりかご保育園 ――といわれても、なかなかピンとこない方も多いでしょうか。いや、環境ホルモン等で逆に敏感になっている方のほうが多いかも………。水汚染のほとんどはここ50年のもの。海の水が全ていれかわるのに3千年程かかることを考えると,驚くほどの汚し様です。これからさらに50年同じ汚し方をすると?……考えるだけで怖いものがあります。人間が汚しているのに“元に戻すのは自然に任せましょう”なんて虫が良すぎるんじゃないですか? というわけで,多少堅い話ではありますが生活廃水のことに限定して「最低限これだけやってみましょう!」ということを4つほど挙げていきたいと思います。この手の問題は「大変な問題だ!!」と考えて徹底的にやってみても熱が冷めたらもういーや、という健康法やダイエットのお試し期間のようではダメ!だから自分で「これだけはどんなときでも実行するぞ!」という最低ラインを持ちましょう。今から挙げるのは、カンタンなことなので拍子抜けするかも……。根拠も書いていきますので家庭での参考にしてみて下さい。 ストッキングの利用が面倒くさい(または私のように殆どはかない)のであれば目の細いゴミ袋を買うときにチェックするだけ!かんたーんです。できれば三角コーナー、排水溝に二つつけるともっと良いでしょう。パイプつまりの予防にもなります。 <何故>生ゴミ等が混じったり、安易に味噌汁の残りなど捨てると、滞留した流れのところで「富栄養」現象を招きます。「富栄養」というよりも“過”栄養といいますか・……?水にチッソやリン等、本来動植物の育成に無くてはならない栄養塩類<農家・ゴルフ場の化学肥料・畜糞尿・家庭排水・生ゴミなどに入っている>が流入することに端を発します。自然にある以上の大量の栄養塩類が湖、内湾などに流入すると、植物プランクトンや藻がはびこり、澄んだ水でないと住めない虫や魚類が死滅します。結果イトミミズやボウフラ等の大量発生。水はドロドロににごり臭気を放つこととなります。この現象が「富栄養化」です。つまりきれいな池がドブ池になるようなものですね。汁物も使いきりに。 油は絶対に流さない 使い切るのが理想でしょうが、アレルギーなどで古い油を使わない方が良い方もいると思います。布等に染み込ませて(市販品もあります)捨てましょう。少ない油や汚れは紙でふき取り、後はお湯で流しましょう。 上とくらべるとちょっぴり手間。でも洗剤つける前にふきとると洗う時が楽です。 <何故>食用油を1cc流すと魚の住める水質になる為に約200l(お風呂一杯弱)の水が必要になります。ススゴイ! 節水をする 残り湯の活用や、とぎ汁の再利用など。特にとぎ汁でフローリングがピカピカになるって知っていました? <何故>川から水を取る量が減る=川に豊かな流れが戻るということ。そうなると、有害なものを薄めることができ自分で(川が自然に)汚れを浄化できる範囲に収めることができます。 石けんを使おう! 「石けんてとけにくいから」と思ってらっしゃる方、それは古い考えです。現在の石けんは水どけがいいですよー。心配なときはぬるま湯でとくとOK。それ以上にいいのは予洗い(洗剤を入れる前に三分程洗濯機をまわし、一度脱水)をすると、石けんカスも殆ど出ません。これを気にしない方は、買うときに品質表示を見るだけ! “石けん”“脂肪酸ナトリウム”“脂肪酸カリウム”と書いてあるものを選びましょう。 また、食器洗剤で主婦湿疹になる方は年々増えています。私も湿疹まではいきませんが、ぴりぴりします。当園のお母さんでも石けんに変えて症状が出なくなった方が何人かいますよ。 <何故>合成洗剤は分解も遅く有害性も高いうえ(生活クラブ生協でのメダカの実験では合成洗剤を入れた水のメダカがバタバタ死んで行くのに対し、石けん水ではぴんぴんしていました。植物に投与する実験でも同様)、本当は汚れおちも石けんより悪いって知っていましたか?それを蛍光剤などの“助剤”を使ってごまかしているんです。 ―――とえらそうなことを書いてしまいました。たいしたエコ人間ではない私がこんなことを書いて恥ずかしい……。でも私達は子供を通じて未来を案じる目をもつ機会を与えられているのですからどうぞお試しください。 |
北海道新聞1999年9月1日(水)付朝刊の特集から
ゆりかご関連部分のみ掲載 20世紀 北の記憶(65) : 「子供の面倒を見てくれる所がないというせっぱ詰まった緊張感はあるけれど、資金はゼロ。保育所といっても我が家の六畳間.夜間の保育専門学校生に保母をしてもらい、近所のお茶屋さんでわけてもらった一箱五円の段ボール箱が遊具でした。二歳の末娘も預かった三人の赤ちゃんの遊び相手になってくれました。」六八年、北大に勤める親たちと手を携えて札幌市北七条に「ゆりかごの家」を開設したときの様子を、矢島満子(現幌北ゆりかご保育園園長)はこう語る。 「ゆりかごの家」が開所する一年前の六七年には「はとポッポ」が誕生、その後、札幌には,風の子、くまの子、ねむの木、そよ風、つくしの子といった共同保育所が次々と産声を上げた。さらに函館、岩見沢、稚内、旭川、帯広などにも広がった。 いずれも自宅やアパート、車庫を使い、部屋を提供した主婦と保母が保育を担当。「共同」の名称に、親と保育者が共に運営するという意味が込められた。 産休明けから利用できることが口コミで広がると、あっという間に子供が増えた。「ゆりかごの家」の矢島と親たちは広い保育室を求めて貸し家探しに奔走する。やっと見つかったのはネズミが出る床が傾いた古家や地下室。粗末な施設でもすぐに満杯になり、「トイレの前の廊下でいいから寝かせて」と懇願されたことも。開設から五年間で五回の引越しをした。 「ゆりかごの家」が特別だったわけではない。国や道、市からの助成がほとんどない無認可施設のため、経営は火の車。安全や衛生、防寒の問題を抱えていた。そうした不足を解消するために、役所との交渉が親や保育所の大きな仕事になった。 <略> : 「ゆりかごの家」に子供を預けた常盤野康子(札幌)は「子供も私も育てられた」と振り返り、こう続ける。 <略> : 七〇年代に入ると認可獲得運動へと展開する。矢島たちは「運営は厳しい、賃金は低い、労働条件も悪い。保育料は高い。保育所は本来、国と自治体が運営するのが本筋。それには公立並みの助成が出る認可保育所にならなければ。」と考えた。その後、「はとポッポ」などが次々と認可を獲得した。 <略> : 「ゆりかごの家」は親が中心になって、園舎建設の資金を集め、用地を探し、開設五年目の七三年、道内の共同保育所の中ではじめて認可保育所となった。
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読売新聞 1999年8月26日(木)付朝刊の生活欄から
ゆりかご関連部分のみ掲載 離乳食
: 札幌市北区の幌北ゆりかご保育園では昨年秋、父母が中心になって、離乳食についてのインターネットのホームページ(http://www.geocities.co.jp/Berkeley/2283/rinyu.html)をつくった。赤ちゃんの成長に合わせた保育園のメニューが自宅でヒントになると人気だ。 : |
日本経済新聞 1999年5月10日(月)付 夕刊から
ゆりかご関連部分のみ掲載 若い母親待望の“トラの巻き”
: 父母が中心になり、離乳食などについてインターネットのホームページを作ったのは幌北ゆりかご保育園(札幌市北区)。園児の母親から「作った離乳食を赤ちゃんが食べてくれない」といった不安の声や相談が多く寄せられているのに答えた。 同園の栄養士や、零歳児担当の職員らも父母らの試みに協力。メニューのレシピを紹介したり、「焦らず、遅れず、様子を見ながら」「楽しく食べる」といった食事を与える上での注意も。園長の矢島満子さんは「保育園には育児のノウハウがこれまでいっぱい蓄積されており、広くそれを伝えたい」と話す。 : |